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【そして十二月は残った】 SFショートショート #シロクマ文芸部
十二月を残すことが決まって間もなく95年を迎える
来年には第1回人類復活記念祭が開催される
遡ること99年前、小惑星が地球を掠(かす)めるように通過しました。
直撃は免れましたが、海水が吸い上げられると同時に2度の巨大な津波が大陸を襲いました。
幸運にも海水面そのものが低くなったため、大陸の奥地や高山にまでは津波は到達しませんでした。
それでも殆どの都市は津波に飲み込まれ、人類は壊滅状態となってしまったのです。
かつて地球上で繁栄を極めていた恐竜と同じように、絶滅への道をたどるだろうと思われていました。
しかし、2つの幸運がありました。
幸運その1は、生き残った人類の多くが高地に暮らす人々だったため、元々自給自足に慣れた生活を送っており、災害後も生活に大きな変化なく暮らして行けたこと。
このことで、安定した社会基盤を保つことが出来ました。
幸運その2は、南極が津波の影響をあまり受けなかったこと。
南極で活動していた科学者や技術者たちが生き残ったことで、技術文明社会の回復が早まりました。
しかし、不安定となった地球磁場の影響で通信機器が使えず、しばらく混乱が続いとことは言うまでもありません。
この為、地球規模で起こった災害の全貌が分かるのに数年を要しました。
後に生存者数は数千人であることが分かりましたが、残された人達の絶望感は少なかったようです。
暫くして、人々はあることに気が付きました。だんだんと季節がずれていたのです。
災害から数年後、7月になっても雪が降っている状況でした。
そう、公転周期が11カ月になっていたのです。
彗星の異常な接近は、地球の自転にも影響を与え、自転速度が遅くなりました。
この影響で発生した巨大津波は自転方向、つまり東に向けて流れ、太平洋の津波は南北アメリカ大陸を分断するように流れて大西洋まで到達し、大西洋の海水はヨーロッパ大陸を飲み込み、アフリカ大陸を覆うように流れると地中海を溢れさせて中央アジアまで到達しました。
自転の影響が少ない南極が津波の影響をあまり受けなかったことが、幸運その2に繋がりました。
そして1日は25時間になりました。
「おかげでぐっすり眠れるようになった。」
と、歓迎する人々もいた様ですが、多くの混乱が生じていました。
人々は、新しい暦の制定が必要と判断し、天文学に詳しい学者と各大陸の代表者を集めて暦問題を公開協議する事となりました。
多くの人々が見守る中、2つの案が示されました。
案A:12月を無くす。
案B:1カ月を29日にする。
1カ月は30日か31日であることに馴染みが深いという意見から、12月を無くす案を押す声もありましたが、多くの生存者であったチベット系民族の意見が取り入れられました。
チベットでは暦に干支を用いており、12という数字は重要であったのです。これには、日本をはじめとする東アジア系の人々が同調しただけでなく、キリスト教の信者からも12月を残すことが歓迎されました。
こうして12月は残されたのです。
天界で神様が呟いた
「仏教もキリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も何もかも全部ワイなんやけどなぁ。まぁエエ、ワイが投げた石のコントロールは正しかったちゅうこっちゃ。やっとこれで人間の体内時計と地球の自転が揃うたわい。」
(1346文字)
「十二月」から始まるSFショートショート
久しぶりに文字数を気にせず書き上げました。
でも、ちょっと細かく説明しすぎたかもしれません。
自転速度が変わった時の潮位変化は「津波」なのか「高潮」なのかも悩みましたが、分かりやすい「津波」としました。
時々、体内時計が25時間だと言われる理由を考える事がありますが、かつての地球の自転は25時間だったためではないかと思ったりします。
#シロクマ文芸部に参加しています 。