【347】習字
英才教育。
それは受けた方が
良いとされるものだ。
しかしながら
それには一定水準の
財力を伴う。
英才教育には
様々なお金が発生する。
その業界に特化した
スペシャリストが
技術指導をするため
それに対する対価を
支払わなければならない。
このことから
英才教育を
受けるには金という概念が
欠かせないものである。
そんな英才教育を
私自身は受けることなく
育ったため
非常に不便な人生を歩んできた。
その中でも今回特筆するのは
習字についてだ。
私は極端に字が汚い。
自身としては綺麗に書いているつもりでも
常人レベルには
及ばない字のセンスのなさがある。
そんな私が
1番嫌いだった義務教育イベントこそが
習字である。
この習字は
大人になってから
ほとんどの人間が使わない
習字道具を持参し
1文字から4文字ぐらいの
漢字をただ薄い紙に
書くというものだが
素材の字センスがない私は
この習字というのが
大嫌いで合った。
中でも1番嫌いなのが
小筆だ。
自分なりに
なんとなく仕上げた
文字の左側に
小筆でプロフィールを
書かなければならない。
書き慣れた自身の名前も
この小筆イベントでは
めちゃくちゃ緊張感が走る。
そもそも名前は
書く必要があるのだろうか?
この小筆イベントで
失敗した場合
今まで積み上げたものが
台無しになってしまう。
このことから
打開策として
私が生み出したいのが
ネームシールを貼ろう!
という改革だ。
わざわざ
名前を書く必要など
無いのではないだろうか?
この小筆イベントは
画数多い苗字などが
圧倒的に不利な状況であり
不公平さが如実に現れている。
そこで私が
編み出したネームシールという
方法を取れば
誰もが平等に
綺麗な字へのチャレンジが
可能となるのだ。
学校関係者の方々。
習字の授業の際は
このネームシール案を
ぜひ採用してほしい。
習字について
正当化し
論破できる方は
かかってきてほしい。