どんぐり倶楽部:失敗談
長女が6歳の時にどんぐり倶楽部に出会い、「探していたのはこれだ!」とすぐに飛びつきました。素晴らしい理論と材料(どんぐり問題)と出会えて本当に幸運だったと思います。そして、やや衝動的ではありましたが、それをすぐに信じられた自分の感性にも今は自信を持っています。
長女が小学生の間は「一生懸命」どんぐりに取り組みました。これをすれば「賢くなる」と。 今から思えば、これが一番の失敗でした。愚かにも罠に落ちました。
「賢くなる」「学力がつく」というのは親にとっては甘い言葉です。ややもするとそれは「成績」「学歴」という短絡的な言葉に直結してしまいます。それらが単なる「副産物に過ぎない」ということに、心の底から思えるまで何年もかかりました。その親の密かな執着を手放すのは簡単なことではありませんでした。 その思い、下心があるうちは、どんぐりをしていても残念ながら効果は半分以下だったと思います。
「一生懸命」どんぐりに取り組んでいた時は、子どもの気が乗らないと「残念」と思ってしまったし、子どもの集中力が途切れたり、絵を描けなかったりすると、どこかでイライラする自分がいました。 子どもは自分とは違う、とは頭ではわかっていても、自分のお腹から出てきた我が子に対しては、同一視してしまうのが母親なのでしょうか。私のように何事にも俊足な親からすると「なぜこの子はこんなにスローなんだろう」とか「なぜこれが出来ないんだろう」とか。やはり自分の子ども時代を基準にして比べ、特に自分より「出来ない」と思われる部分に焦点が当たってしまっていました。
子どもには「よく見なさい」と視考力を説くくせに、私の方は子どもの何を見ていたのか。子どものリズム、子どもの特性、それをそのまま受け入れないといけないとわかっているのに。「親は見守るだけ」を理解し、納得し、それに徹するのは本当に難しかったです。
感情を感じられる人間にする。体感を信じられる人間にする。今の社会で、そこをゆっくりと時間をかけて守り教えることができるのは、多くの場合、家庭しかないと思います。自分の感情を尊重してくれる人は、社会に出ると多くはいないでしょう。
どんな感情も持って当然で、正の感情だけでなく負の感情も本人には正しい。良いアイデアも悪いアイデアも正しい。それを表に出す、何かを決断する時に、感情と知性を両輪として決める。「常識だから」「社会通念だから」「罰を受けるから」ではなく、自分だけが持つ感情に鑑みて判断することが出来る人間になれば、ストレスも大幅に減り豊かな人生を歩むことが出来るのではないかと思っています。
それを教えるのが親の務めであり、そのためには親が「成績」や「学歴」「就職」など小さな目先の執着を手放さないと…と我が身の失敗経験から思うのです。「そうは言っても」という心配は痛いほどわかるのですが、それこそが糸山先生の言う「親の覚悟」なのではないかと思っています。
どんぐりでは12歳で家庭内教育を終わらせるとあります。子どもが様々な感情を味わいつつ、知性を育てる機会は12歳で終わるのです。しかし、本当の意味で本人の感情を大切にし、知性と両輪で物事を判断するという部分を育てられていなかったら。見よう見まねでどんぐり問題だけを取り入れ、たくさんの習い事をし、決まった時間にどんぐりに取り組むというルーティーン、それが出来なかったり問題が解けなかったらイラっとする親ならば、12歳で子育てから手を放して良いパターンは1割にも満たないのではないでしょうか。
長女の場合、私はまるで間違っていたので、12歳で手を放し「もう自分で決められる頭があるから」と言った結果、困ったことがあっても親にも相談することが出来なくなり、友達関係でひどい目にあっていた事実が発覚しました。その傷が癒えないまま目指す高校に入っても、部活関係で辛さを独りで抱えたまま不登校になり、心療内科にも通い、最終的には転校しました。
長女にはたくさん謝りました。私は、どんぐりで子育てについて大切なことを教えてもらっていたのにも関わらず、ロクに理解せず何も実践できていなかったことに気が付きました。それで12歳の子に向かって「もう自分で決められる頭があるから大丈夫だよ」とはいかに無責任な言葉でしょうか。
特に長女は大人しくスローなタイプで、いわゆる「いい子」でした。親の顔を伺い、自分の言いたいことは言えず、親に認めてもらいたい。学校の先生より親の方が怖いと思っていたかもしれません。
次女は正反対で、私に似て俊足タイプ、yes、noがはっきり言えて、親は怖いけど衝突も辞さないタイプです。次女には「押しつけどんぐり」は通用せず、やるもやらないも自分で勝手に決めていました。その頃は私も仕事が忙しく、添削すらしていませんでした。
2人を見ていて思うのは、どんぐりの進め方にも個人差が大きくあり、必要だったのは「声かけ」だけだったこと、やる、やらないの判断も「ゆっくり考えて、やるかやらないか決めてね」だけで良かったと、今は思います。
高校生になっても次女は独りでどんどん自分で物事を決め、実行するタイプです。そういう子が良いという風潮はありますが、そうではなく、長女のようにあれこれと迷い、多くの人に相談し、愚痴りながら、ゆっくり受け身で決める方が結果的に良いタイプもいます。それこそが個性で、本来の自分の能力を輝かせられると思っています。
長女は一時期引きこもりになりましたが、今までの不満や怒りを全て吐き出し、親がそれに対して真摯に謝り、執着を手放す覚悟を決めたら、みるみると元気になりましたが、それでも1年間はのんびりと家で過ごしました。何事にも時間はかかります。今、一年遅れて好きなことを学べる短大に入り、試行錯誤しながら自分の人生を楽しく歩み始めています。
子どもに対する心配はいつまでも尽きません。学力のこと、成績、人間関係、将来…特に子育て真っ最中の時は色んな意味で余裕もなく、親は大変です。親にももちろん感情があり、余裕のない中での焦り、苛立ち、心配、全てが目を曇らせます。だから親もまた「ゆっくり」と感情と知性を持って決めることが大切で、親の気持ちも落ち着いてから問題に取り組む必要があるのではないでしょうか。
お子さんが小さいうちにどんぐり倶楽部に出会う機会があったのなら、ぜひその本当の「理念」を理解し、納得し、私のように自分の下心や執着に惑わされず、子どもの本当の幸せとは何かということまで思いを馳せて欲しいと思います。