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斎藤知事について想う2

斎藤知事の姿が、まるで遠くの山影のようにぼんやりと浮かんでいた。百条委員会の場に座り、数多の委員たちから繰り返し追及を受ける彼の姿は、もはやひとつの舞台のようにすら感じられた。パワハラ、内部告発、そして贈答品の不正。それに対して、彼が繰り出す言葉は、冷えた風に流される木の葉のように軽い、心のこもっていない言い訳だった。

贈答品を要求し、それを自宅に持ち帰る。まるでそれが当然の権利であるかのように。人はいつからこうして自分の内側で何かを歪めてしまうのだろうか。欲望は最初、ほんの小さなささやきでしかない。それが次第に声を大きくし、いつしか人を飲み込む巨大な波となる。斎藤知事は、その波に飲まれた男だ。

「おねだり知事」という皮肉めいた言葉が彼の背中に張り付いている。それは彼自身の卑しさからくる汚名だ。自業自得という言葉が、頭の中を何度も反響する。しかし、その汚れが斎藤知事一人にとどまらないことに僕は気づかざるを得なかった。彼には妻と小学生の息子がいるらしい。彼らはこの事態をどう受け止めているのだろう。

知事が自らの愚行によって浴びる非難、それは彼自身の選択の結果だ。しかし家族は?妻は夜遅く、一人で涙を流しているのだろうか。息子は、無邪気な心で学校に通い、友人たちと無邪気に笑い合えるだろうか。それとも、彼の周りには冷たい視線や、口に出さない嘲笑がじわじわと広がっているのだろうか。

子どもは、親の影を逃れることはできない。特に小学生の息子は、まだ自分の中に強固な自己を築ける年齢ではない。親が巻き起こす嵐に、そのまま巻き込まれるしかない。友人たちのささやきや、教師の曖昧な視線は、鋭い針のように彼の幼い心を刺すかもしれない。そして、彼はその痛みをどこにぶつけることもできず、ただ沈黙するしかない。

斎藤知事は、自分の行動が家族にどんな影響を与えるか、果たして考えたことがあるのだろうか。いや、考えたとしても、その重さを理解することはできなかったのだろう。欲望に飲み込まれた人間にとって、他者の苦しみはどこまでも遠いものだ。告発者の死に対しすら何の道義的責任を感じていない。

外の風は冷たく、空は灰色に覆われている。知事の家族がその冷たさにどれほど耐えられるのか、僕は静かに考え続けるしかなかった。

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