大自然の試練
世界が揺れている。少し前、ドイツやポーランドで大洪水が起こり、町や村が濁流に飲み込まれた。そんなニュースを目にしたとき、僕はなぜか、遠い昔に読んだ物語の一節を思い出していた。水が全てを奪い去るという恐怖と、それでも人々が再び立ち上がるという希望が同居した風景が浮かんだ。水は命を与えるものでもあり、奪うものでもある。人間の手に負えない力を前にすると、僕たちはただ成すべきことを成すしかないのだろう。
一方で、アメリカでもハリケーンが襲って大災害をもたらしている。屋根を吹き飛ばし、車を転がし、生活を根こそぎ破壊する。それでもまた、次のハリケーンがフロリダに向かっているという。大自然の力は、まるで人間の小さな営みを嘲笑うかのようだ。僕たちは毎日忙しく働き、夢を追いかけ、愛する人と共に生きている。だが、そんな日常が一瞬で壊れる瞬間が訪れることを忘れがちだ。
日本もまた、地震や台風といった自然災害に晒されている国だ。昔から何度も何度も、地面が揺れ、風が唸り、雨が降り注ぎ、人々はそのたびに立ち向かってきた。けれど、このところ他国でも同じように災害が多発しているように思える。まるで、地球全体が何か言いたいことがあるかのように、声を上げているのかもしれない。
地震も台風も洪水も、僕たちに何を教えようとしているのだろうか。もしかしたら、それはただ、僕たちがこの世界でいかに小さな存在であるかを思い出させるためのものなのかもしれない。大自然は僕たちに試練を与える。僕たちはその試練を乗り越えるために努力する。けれども、それは必ずしも勝利を意味しない。
人間は強い生き物だ。たとえどんな災害が襲おうとも、僕たちは立ち上がり、再び日常を取り戻そうとする。それは希望だ。しかしその希望には同時に無力さが織り交ぜられている。巨大な自然の前では僕たちは抗う力を持たず、なすすべが無い。