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ある国の離島にて

 馴染めない。離島へ向かう車の中で、強い疎外感を感じていた。大学の研修旅行で、メンバーは、カリスマ的な存在感のあるギャル、決断力のある先輩、リーダーシップがあり声の大きい子、音楽科のお嬢様等。皆が自分よりも多才で、優秀な人間だと思え、自分は委縮して思うように発言ができない。

 リーダー的存在の子が、目立つメンバーを帰国後の活動に誘っていることが分かったが、自分はそれに誘われていない。ああ、自分はいてもいなくてもよく、誘いたい存在ではないこと、関わることが有益だと思われていないのだなと思った。

 存在感、会話の切り返しの上手さ、美貌、明るさ、リーダーシップ、どれをとっても自分には特別に秀でたところがない。ほぼ初対面の人間が多い若い集団の輪の中にいるには、なにか人心を掌握できる一芸がなければせいぜい和の端っこになんとかしがみつくのが関の山。

 離島へ到着し、海のそばの広場で村の子たちが歓迎のダンスを踊ってくれたり、滞在先の方が食事を振舞ってくれたりした。その間もずっと、隅っこに追いやられないためにはどう振舞えばいいか、どうすれば愛される人間になれるか、そればかりが気になっていた。

 夕食が終わり憂鬱な気持ちでふと、空を見上げて驚いた。見たこともない数の星が輝いている。宝石箱をひっくり返したみたいな星空、とよく耳にするけれど、それ以上だった。それまで、星が好き、という人を正直馬鹿にしていた。ロマンチスト気取りか、と。かなりの田舎で育ったが、感動するほどの星なんて見たことがなかった。写真集を見ても、特殊なカメラで撮影したからでしょう、と別世界のものであり、ある種のファンタジーだと考えていた。

 でも違った。美しさに鳥肌が立ち、涙が出たのは初めてのことだった。空のどこをも上げても一面に星が瞬いている。星が密集しているとりわけ美しい箇所があり、ぼーっと眺めていたが、突然はっと気づいた。これが天の川か。天の川とは肉眼で見えるものなのか。星が好きな人は、この美しさに魅せられているのか、と心底納得した。それまでは、移動する時にちらっと空を眺めるだけだったけれど、これならいつまででも見ていられる。もっと見ていたい。その夜は生まれてから一番長い時間、空を見上げていた。

 その旅において、その後も自分がそのメンバーの中心的存在になることはなかったし、目覚ましい活躍をすることもなかった。だけど、「それまでの価値観がひっくり返る体験」をして以来、人の感情なんてものは、立場や環境が変われば簡単に覆るのだと実感した。それにあの美しさに比べたら自分は元々取るに足らない存在だ。思うままに発言すればよいのだ、と思えるようになった。

 帰国してからも、あの島で見た星空が忘れられず、国内で星空がきれいだという場所をいくつか廻った。奈良の天川村、与那国島、石垣島や長野の阿智村などだ。しかし、あまり天候に恵まれず、星はよくて数個しか見えなかった。だけどいつか、またあの星空を見たい。自分の大切な人たちにあの星空を見せたい。