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神戸連続児童殺傷事件現場を歩いてみる 神戸散歩

ご覧いただき、ありがとうございます。なかの人どんむです。
2025年1月某日、神戸を散歩していました。

今から約30年前の神戸連続児童殺傷事件。数カ月間テレビで事件が連日報じられた1997年当時、勉強しない学生だったので毎日チェックしていました。

事件映像とニュース記事で入ってくる現場の様子など、どんなだったのかなと歩いてみました。多分今回行かないと、一生行く機会ないでしょうしね。

コースは以下の記事を参考にさせていただきました。

神戸連続児童殺傷事件は1997年に発生し、日本中を震撼させました。神戸市須磨区で小学生女児2人がハンマーで殴られ重傷を負い、その後も類似の事件が続発しました。5月には小学6年生の男児が行方不明となり、3日後に中学校の正門で男児の首が発見され、口には「さあゲームの始まりです」と記されたメモが入っていました。犯人は「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、猟奇的な声明文を残しました。地域は極度の恐怖と疑心暗鬼に包まれましたが、6月28日に犯人が逮捕され、驚くことに14歳の中学生でした。その年齢と事件の残虐性のギャップが世間に大きな衝撃を与えました。

神戸連続児童殺傷事件の時系列まとめ:

第一事件(1997年2月10日 16時35分ごろ)
須磨区中落合一丁目「落合第3団地」付近で、市立南落合小学校6年生の女児2人(12歳)が金槌で後頭部を殴られ、1人が全治1週間の怪我を負う(傷害罪・暴行罪)。

第二事件(1997年3月16日)

  • 第二-1事件(12時25分ごろ): 須磨区竜が台二丁目で、市立竜が台小学校4年生女児(10歳)がハンマーで殴打され、1週間後に脳損傷で死亡(殺人罪)。

  • 第二-2事件(12時35分ごろ): 竜が丘公園付近で、同校3年生女児(9歳)が小刀で腹部を刺され、全治2週間の怪我を負う(殺人未遂罪)。

第三事件(1997年5月24日 昼過ぎ)

須磨区友が丘付近通称「タンク山」で、市立多井畑小学校6年生男児(11歳)を誘い出し、14時ごろ運動靴の紐で絞殺。その後遺体を切断し、胴体は基地局舎の床下に、頭部は5月27日未明に友が丘中学校正門前に遺棄(殺人罪、死体損壊・遺棄罪)。

女児が小刀で腹部を刺された竜が丘公園

多摩ニュータウンに似た雰囲気

最寄りの「名谷駅」に行くと、駅前にはデパートやショッピングモールが立ち並び、明るく活気のある雰囲気が広がっていました。乗降客も多く、賑わいを感じます。周囲の丘陵地は開発され、団地が立ち並んでおり、規模が一回り小さくなったニュータウンのようだという印象を受けました。

第二事件被害女児に少年Aが「手を洗う場所はないか」と声をかけた「名谷8団地35号棟」脇の歩道

モバイルバッテリー購入を決意

以前、携帯の位置情報ゲーム「Ingress」を本気で遊んでいた頃は、大容量バッテリーを常にUSBケーブルで繋ぎっぱなしにするのが日常でした。しかし、バッテリーを使わなくなってからはもう5年以上。この日は早朝から活動していたため、「名谷駅」に着いた時点でスマホの電池残量が30%ほどに。さすがに不便さを痛感し、帰宅後すぐにANKERの10,000mAhバッテリーをポチりました。

第三事件被害男児の首が置かれた友が丘中学校の校門

友が丘中学校へ

およそ20分ほど歩いて、少年Aが通っていた友が丘中学校を目指しました。アップダウンの多い場所で、たどり着く頃にはすっかりヘトヘトに。校門は事件当時、連日ニュースで放送されていたままの佇まいで、時間が止まっているような印象を受けました。

校門の前は大通りになっており、その向かい側にはさらに一段高い住宅街が広がっています。あの頃のニュース映像は、まさにその高台から撮影されたものでした。しかし、そこまで登る気力はもう残っておらず、立ち止まって当時の記憶を静かに思い返しました。

少年Aの実家

少年Aの実家と「タンク山」へ

さらに歩いて、当時のニュース映像で頻繁に映されていた少年Aの実家を訪れました。驚いたことに、ほぼ30年近く経った今も全く変わらない佇まいで残っており、時の流れを感じさせます。雨戸は固く閉ざされ、人が住んでいる気配はありません。コンクリート造りの一戸建てですが、建物の外観には年月の経過が刻まれていました。

次に、第三事件の現場である通称「タンク山」へ向かいます。実家から徒歩数分の場所に生協があったので、そこで飲み物を買ってひと休み。参考にした記事によると、神戸は生協店舗の数が全国的に突出して多いのだとか。

タンク山のタンク

生協から10分ほど歩くと、「タンク山」のふもとに到着。当時、「タンク山への近道」として報道映像に登場した「チョコレート階段」は、現在は閉鎖されており立ち入ることはできません。直線的で急な斜面だったため、登るのはかなり大変だったでしょう。

給水タンクまでは車道を使って登りました。事件当時、被害男児の遺体はケーブルテレビの再送信設備に隠されていたと報道されましたが、その設備はすでに撤去されており、正確な場所を特定することはできませんでした。

給水タンク施設の脇には、事件の犠牲者を悼む鎮魂の石碑がひっそりと立っていました。そこにポカリスエットをお供えし、しばし静かに休息を取りました。

慰霊碑

再び名谷駅へ

ここから再び「名谷駅」を目指して歩きます。住宅地を抜けるとマンションが立ち並ぶ区画へ。およそ30分ほどで駅に到着しました。午後は写真撮影などを控えて節約していましたが、それでもスマホのバッテリー残量は一桁台に。駅前のマクドナルドで少し休憩することにしました。

第三事件被害男児が住んでいたマンション

帰路と入浴施設探し

ひと息ついた後、帰宅前にひと風呂浴びようとスマホで入浴施設を検索。しかし、このニュータウン内には適当な施設が見つからず、一番コスパが良さそうな「新長田駅」近くの入浴施設へ向かうことにしました。この時点で歩数計は25,000歩を超えており、足取りはさすがに重くなっていました。


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