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原価厨はなぜ生まれるのか?

Q1. 原価厨はなぜ生まれるのか?

A2. 消費者目線しかないから。

端的にいって、「消費者目線しかないから」だと思います。
「安ければよい」って単純に消費者目線で、「いいもの作って事業として成立させたい」という生産者視点を知らないだけなのではないかなと思いました。いってしまえば、単に知らないだけともいえます。

Q2. では、なぜ消費者目線しか知らないか?

A2-1. 「売る経験」を積む機会がほぼないから。

だと思います。もうちょっというと、「売って楽しかったこと」もないのでしょう。

子供の頃、フリマで、遊ばなくなった5千円のファミカセを100円で売りさばいた経験があって、そのときは子供心で、「あー、喜んで買ってもらえてよかったなあ!」でした。あとで、「そんな金額で売ってしまったら、もったいないよ。中古で売ればもっと高く売れたのに!」ってたしなめられてから、「言われてみればそうだよなあ」程度の感想でした。

でも、あのときの経験が原体験になっていて、「適正価格で売らないともったいない!」ということは理解できたと思います。子供のうちから、そういう体験があったらまた違ってくると思います。

A2-2. 身近の「売る存在」が減ってしまったから。

もう一つ。地域から個人商店が減ってしまったというのも一因として挙げられると思います。

子供の頃の親友が、実家が洋服屋さんで、彼のおうちの日商聞いてすげーって感心した記憶があります。昔は商店が多くて、その商店は友達の親御さんが経営していたものです。だから、近所の酒屋さんでジュースを買ったり、近所のスポーツ用品屋さんでグローブを買ったりすると、これが友達のおうちの生活費になっているんだな、と子供心ながら分かったものです。

今は、「何かを売って稼ぐ」という現実体験がシステム化されてしまい、しまいには、どんどんバーチャルなゲームになってしまっています。そして、その中で、私たちが時給・月給という決め事に慣れすぎた、ということなのでしょうね。

提案. 向こう側へいくことの重要性

原価ギリギリで安ければ安いほどいい、お金を稼ぐことが「悪」だという考え方は、売る人たちが身近でなくなった結果、「向こう側」に捉えているのではないでしょうか。そして、そこには「向こう側」にいけないことの諦めも時折、垣間見えるのですが。

今自分の会社で、動画を無料で公開してきた若者たちに、「じゃあ、インフルエンサーとして、このグッズをいくらで売ってみる?そして、それは活動を続けていくのに十分かい?」という質問を投げかけてみています。すると、「ファングッズ販売だと商業的だけど、活動支援ならありですね。」という答えが返ってきて、この回答を吟味するのは面白いなと思いました。

「活動支援」という名目は、「何かを売る」という行為を最後まで拒絶しているようにも見えますが、「これで生きていくのだ」という<個人商店への回帰>にも見えます。古い友人で、外資コンサルでのサラリーマン生活にうんざりしてニートになった男がいるのですが、彼が「俺は八百屋になりたい」「リアカーを引いて、モノ売って生きていたいんすよ」といっていた言葉を思い出します。結局彼は、東京から遥か遠くの、とある地方のお弁当屋さんになりましたが、<個人商店への回帰>が、システム化されたこの世の中で、「モノを売る」というリアルな体験を取り戻すキーワードなのではないかと思いました。

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