人生の幸福。

幸せとは、本当に欲しいものが手に入らないことを認めることである?


客観的な一つの人生として、僕の人生は豊かであると言わざるを得ない。何に対してもピラミッドの構造を持ち出すのは我々の悪癖であるが、仮にそれを当てはめた時、まず間違いなく先端に近いところに僕がある。それは概ねどの尺度から見ても、である。健康診断の数値みたいに人生の要素を細分化(例えば年収であったり、充足感であったり)すれば、ある一点を除けば全て良好であるだろう。ある一点を除けば。

人間関係で大きなトラブルはなかった。(親とも、生きた化石みたいな教員とも)恋人は途切れなかった(どの人とも比較的長く付き合った)し、人が難しいと言うこと(偏屈なペーパーテストを課す大学の受験や、身の潔白さを証明するための就職活動の類だ)は大概こなせた。僕が特別優れているとは思わないけれど、少なくとも祖父母が泣いて喜ぶタイプの人間だったことは確かだ。

しかし、僕は仮に天国で(多分行けると思う)、もう一度僕のような人生を選ぶ権利を渡されても、マーケットプレイスで売り飛ばしてしまうだろう。(それで、地獄に行くかもしれない)僕の人生には一つの欠陥がある。それは、絵を描くことができないことだ。

僕は、画家になりたかった。画家になれずとも、絵を通して自己表現ができる人間になりたかった。子供の頃から、何度もそれを試みてきた。大人になっても、諦めずに続けた。大抵の事は弛まぬ努力を続けることで達成できる、というのが僕の人生の経験則であったからだ。しかし、僕はいつまで経っても、陰影さえも表現することができなかった。描いた対象物は、キャンバスの上で死んだままだった。

何本の筆を折ってきたかは分からない。人生で本当に欲しかったものを手に入れられる人なんてない。隣の芝生は、ドラッグのようにいつまでも人を誘惑する。僕がこの幸せを享受しなければ、世界はあまりにも惨憺だろう。しかし、と僕は思う。しかし、本当に欲しいものを諦める人生が、幸せであると僕は思えないのだ。




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