ラディゲより生きて。

故人の作品は、更新がなされないから好きだ。往々にして、長きに渡る更新は総体として負の影響が大きい。勿論、そうでない偉人も少なくはないが、隠れている数多がそうであることもまた事実だ。それだから、更新がなされない故人の遺物が、私は好きなのだ。

その中でも、夭折した人によるものが私は特に好きだ。何よりもその人の作品を味わい尽くすことができる。数少ない作品に、彼ら彼女らの萌芽を見て取ることが出来る。自らの死を作品の一部に組み込む人もいるが、本当に偶然死んでしまった人もいる。好む好まざるに関わらず、彼らは早すぎる死をもって、天才の称号を得た。それを称賛するべきなのか、哀しむべきなのか、私にはまだ分からない。

自らを省みる。私は二十二の齢を刻んだ。そうか、私はもうラディゲより生きたのか。ラディゲより長く生きたことの意味について、またそれがもたらすものについて、思索に耽るバースディになった。

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