XYZ。

バーカウンターの向こう側には彼がいた。

「あれ?」

彼は数年前となんら変わらない、懐かしい微笑みを浮かべた。でも、瀟洒なチョッキがよく似合っていて、コケティッシュな雰囲気を纏っている。

「知ってて来たの?」

私は首を横に振った。しかし、それは嘘だ。彼がこの酒場でバーテンダーを務めていることを私はずっと知っていた。でも、勇気がでなかった。私がこの暗がりで彼と対峙した時、彼の魅力に飲み込まれてしまうことは自明であったから。

彼とは、大学時代のバイト先で出会った。彼とは同級生だったけど、私は一年間の浪人を経ていたから年は一つ下だった。でも、彼は私よりずっと精神的に大人で、それでいて可愛げがあるから私はとても気に入っていた。彼は年下とはおもえないくらい自分の世界観が確立されていて、目線が合えば二人きりの空間に誘われるような錯覚をよく憶えた。

その頃、私は中学校の頃からずっと付き合っていた彼氏がいた。私は見た目とは裏腹にとても貞淑であったから、中学校の時から男性を異性とみない習慣がついていた。私の中で、彼氏だけがたった一人の異性であり、その他の男性は男性でしかなかった。その性格からか(あるいは、恵まれた女性性からか)、私はよく男性に好意を寄せられたけど、浮気の周辺にも手をださなかった。そうして、私は二十五歳になった。

彼氏と連絡が取れなくなって、慟哭の果てに思い浮かんだのが貴方だった。私は貴方と過ごしたかけがえのない時間を慈しんで、あの混乱を乗り越えることができた。貴方の声が、貴方の振る舞いが、ドーナッツのように穴があいた私の空白を埋めてくれたのだ。

「何を飲まれますか?」

私はXYZを注文する。ファーストオーダーにこのカクテルを頼む意味を、貴方はもちろん知っているだろうから。

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