渦。
物事、先ずは隗より始まる。渦のもつ、蓋然的な中心をあなたはどこに置くのだろう。それを形而上学的として、思慮を放棄してはならない。形而上学とは可能性でもあり、思考の枷でもある。論理で片付く問題の言い訳として採用される形而上学は誠に不憫である。あなたもそう思うなら、もう一度考えてみて欲しい。渦の中心を、あなたはどこに据えるのか。
渦とは本質として動的である。空間に、あるいは中心に、力が働く。しかし私は、渦とは静的なものであると思う。我々が思い抱く渦は、絵画のように波紋が拡がる一瞬であるはずだからだ。あなたは渦について考える。ただ、渦について思いを馳せていると言って、哲学者を自負してはならない。渦に引き寄せられることは、ある種の必然だからだ。私はあなたが思い描いた渦の中心からこの文章を書いている。そして、外向きか内向きかも分からぬ流れに身を任せ続けている。