櫻子。
櫻子は、自分が春に生を受けたと信じることができなかった。勿論、便宜上の誕生日は4月X日であるし、麗らかな春の日のさくらのように育って欲しいという名前の由来も親から聞かされた。しかし、櫻子はどうもそれがまったくの欺瞞であるような気がしてならなかった。それに、櫻子の勘は決して全てにおいて聡い訳ではないが、数少ない勘は全て恐ろしいほどに的中する。それだから、櫻子は自分が櫻子ではないことに揺るぎない自信をもっていた。
櫻子は成人を迎える前夜、思い切って母に尋ねた。
「ねぇ、お母さん。本当は、私櫻子じゃないんでしょう? 」
「何を言っているの、櫻子」
「ねぇ、お母さん。本当のこと教えてよ」
「よしなさい、櫻子」
「ねぇ、お母さん。本当の私は、一体どこにいるの? 」
「櫻子! 」
お母さんが振りかざした手が、私に向かうことはなかった。しかし、手を振りかざしたということは、叩こうとした=感情的な否定。肉体的な痛みを受けなかっただけで、私は同様の苦しみを享受した。そうか、私はやっぱり櫻子じゃなかったのか。それだから、櫻子が成人を迎えることはなかった。何者かが分からないまま生きるのは、櫻子にとって不気味すぎたのだ。