四分三十三秒の完成。
「四分三十三秒」の演奏が始まる。僕はその瞬間、イヤフォンで耳を塞ぐ。それは一見不思議な行為の様に映るが、この曲はこうすることで完成するのだ。
喧噪をも音楽に取り込む「四分三十三秒」。戸惑いと狼狽は空気を伝って我々の耳を震わせる。そこに、イヤフォンを添えるのだ。イヤフォンからはまったくの「音楽」が奏でられる。イヤフォンを介することで、「四分三十三秒」を当たり前の音楽として享受できるのだ。
しかし、最近の悩みは「四分三十三秒」に喧騒が入り込まないことだ。みんな静かに四分三十三秒を受け入れている。これじゃあ、僕が馬鹿みたいじゃないか。