仮面の奥。

自分が何人いるかが分かりません。私は、自分に内包する複数の人格を、私一人が使い分けていると思っていました。つまり、AやBといった人格の仮面があり、それを私という一人の人間が付け替えているようなものだと、理解していました。

しかし、私という存在自体が、どうも何人もいるようなのです。思えば、矛盾や間違いの多い人生でした。仮面の付け替えだけでは説明のつかない過去の行動や、拐かされるような心地のする勘違いがしばしばありました。私はそれを直視することが怖かったのでしょう。戯けてみせることで、その状況に蓋をしていました。

私は仮面を作ることが(ある人に対して、その人が望む表情を象った仮面)できました。私の人生の概ねは、その処世術をもってその華やかさを保ってきました。しかし、その綻びが目立つようになりました。華やかさを知っているせいで、それは惨憺たる塗炭になって私を苦しめるのです。

私は一体何人にて、いつ立ち替わっているのでしょうか。分かりません。私が神から与えられた仮面作りの才をもってしても、たった今の私に合わせた仮面しか作ることは叶いません。最近は、どこにいるかも分からない私(もしくは私、達)に怯えて、手元が狂います。仮面作りの腕も鈍り始め、私は酒を飲むようになりました。

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