パラレルラブイニシエーション。
ベクトルは消えない。僕は恋について考える時、いつもそのようなことを思う。例えば、犬派か猫派か、というシンプルかつ普遍的なテーゼがある訳だけど、それぞれの良さがある、って捉えている人がほとんどなんじゃないかな。もちろん、それは本質的な話であって、この他愛もないテーゼはそのような回答を求めていないことは百も承知なんだけど、少なくとも僕はそう考えているし、大方の人は内心で賛同してくれていると思う。それはとてもサイレントな首肯だけど、力強い首肯だ。
つまり、好きとか愛してるとか、一緒くたにして語ることは基本的にナンセンスで、10人の相手がいれば、それに対する好きは十人十色だ。一人として同じ人がいないのと同じように(たとえクローンであっても、完全な一致は存在しない)、1つとして同じ好きは存在しない。一つ一つのベクトルは確かに心に刻まれていて、それは決して消えないタトゥーだ。仮に消えたとしても、すぐに再現されるタトゥーだ。
だから、僕は今君の手を取っている。つまり、一つのベクトルが成就したと仮定して、そのパラレルな生活に思いを馳せている。実体は重要なトリガーだ。こうして君の手を握っていると、パラレルなラブがありありと浮かんでくる……ねえ、実体ってそのためにあるんじゃないかって、僕はそういう気がしてならないんだ。