デスインヴェニス。
「映画の話?」
ベニスに死す。私はその名前をどこかで聞いたことがある。
「このカクテルの名前だよ」
彼はグラスの脚の付け根を、薬指と中指のはらに挟みながら呟いた。彼のグラスの扱いには品がある。グラスの扱いだけは嘘をつけない、っていう科白は何の映画のものだっけ?
「デス、イン、ヴェニス」
私は彼の流暢な発音を意識して、その名前をそらんじる。デスインヴェニス。私は彼に目配せをして、そのカクテルを口に含む。とても優雅な味わいで、私はその名前が不適切であると感じる。
「可哀想な名前だよね」
彼はプロセッコを注ぎ足すと、調律師みたいな素振りでカンパリを加える。そこには気品があり、悲哀がある。
「僕は故郷で死にたいな」
「私は……ベニスでもいいわ」
彼は悠然とした所作で、そのカクテルを深く飲んだ。
「それってとても、幸せなことだよ」