ひとさなぎ。
目が覚めると身体の至る所がシーツに縫い付けられている。苦しくはないが、気怠くはある。その全ての縫い目を裁断し、身体に食いこんでいる所の抜糸を済ませないと、僕の一日は始まらないからだ。ただでさえ昼下がりに起きているのに、この作業は時間がかかるからやっかいだ。骨が折れるから、眠りを挟みながら作業をする。20キロメートルだって走れそうな時間が、あっという間に過ぎる。稀釈した時間を寝惚けた頭で捉えることが、時間に対して最も不誠実な態度である、と僕は経験則として考えている。
気のいいヨーロッパ人なら仕事を終えているくらいの時間に、作業が終わる。身体を起こし、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。こうしてやらないと、どうしようもない毎日を過ごしていることになりそうで怖いのだ。景気のいい開栓音は、祝福のメタファーとしてコストパフォーマンスもいい。腹に流し込みながら、フィンランド映画を見る。フィンランド映画を観ていれば、退廃的な生活にも象徴的な意味が付与されている気分になるからだ。
気づけば夜になって、眠りを試みる。もちろん、なかなかやってこない。酒を飲んだり、ぼうっとしたり、動き回ったり、そうしていれば朝が来る。それは昼かもしれないけれど、朝か昼かなんてとても些末なことだ。