回し車。
どれだけ手を伸ばそうとも、星までの距離は誤差にも届かない。遥かかなたではあるけれども、遠望することはできる。どれだけ毎日を潜り抜けても、近づいても遠ざかってもいないから歯がゆい。
時間軸が希釈され、重みはそれに反比例する。一秒一秒は苦く、吹き抜ける風には棘がついている。それでも明日はやってくるし、明後日もやってくる。星はどこからでも見えてしまうから、座標を見失うことはできない。目をそらすことも許されない。
地球の自転に逆らって歩いているからだ。僕はそう思い当たって、立ち止まって見る。しかし、一日が過ぎれば同じ場所にまた戻る。回し車。止まったままでいる方が残酷だ。歩いても痛いことには変わりがないけれども。
空気に形を見つけるような作業を、延々と繰り返している。しかし、僕には星が何かの気まぐれで(あるいは神様が物理法則を変更して)、星の方からやってくることを待つほかがない。それは誰かにとっての隕石である。でも、僕だってそれを被っている。僕は順番をまって、回し車に挑み続けるしかないのだ。