トンネル。
トンネルの空洞に肉体が爆ぜる音が響いた。急ブレーキと並行に車内には慣性の法則が働いたが、乗客は疎らに座っていたので転ぶものはいなかった。彼女の飲みかけのお茶が転がったけれど、蓋はマンホールのようにきつく締めていたので無事だった。
「何かしら」
「事故?」
車掌は動揺を取り繕って、状況を説明する。アナウンスは、間違った時間が流れる車内の針を巻き直す指だ。
「ただいま……線路にいたカモシカと衝突をいたしました。列車の安全を確認いたしますので、今しばらくお待ちください」
車窓の暗闇は、山に伸びる腸に囚われていることを指し示していた。
「ねえ」
「ん?」
「どうして、そのカモシカはトンネルの中にいたのかしら」
「カモシカにだって、暗闇を好きなものがいるさ」
彼女はマンホールを緩め、お茶で唇を湿らせた。
「本当に、それはカモシカなの?」
「……直接、聞ければよかったんだけど」
溜息が、車輪の滑りを悪くする泥になる。ゆっくりな小一時間で、僕は彼女と愛と悪の違いについて語り合った。