躁鬱。

希望も絶望も違いがない。コインの表裏とかそういう次元ではなく、それは純粋な混沌に近い。瞬きをする度に、というのは少し大袈裟かもしれないが、それくらい刹那的に僕は躁鬱を繰り返している。

我々はしばしば希望が上で、絶望が下だと考えてしまうが、それはある種の固定観念にすぎない。見上げながら絶望をすることもあるし、俯きながら希望をひた信じることだってある。X軸、Y軸、Z軸。それだけでは到底語り得ない、感情形態。

躁鬱。僕は、鏡を探している。常に反転して投影される、虚像。あるいは、数学的な法則。マイナスにマイナスを掛ければ、プラス。僕はそういうものを漠然と探し続けている。希望と絶望を繰り返しながら、混沌に拐かされながら。

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