半分夢を見る。
潮が満ちていく速度を感覚的として認知できないのと同じように、昼間の眠気は自然と満ちていく。気付いたら入眠のぬかるみに足を踏み入れていて、多くの人は平静を装ったつもりの中、発情したキリンみたいに首を振っている。覚醒と睡眠がせめぎ合う中で夢を見ることはできないが、ぬかるみの中では半分夢を見ることができる。
前腕にハンカチをかけて、机に突っ伏す。目を閉じて、ぬかるみに体重を預けて沈んでいく。そうすると、脳内の暗渠たるデータベースに接続することができる。紡がれる予定の下ごしらえを味見することができる。その感覚は、映像というより脚本に近い。プロットを辿るだけでも夢は面白いし、普通の夢見とは違った醍醐味がある。
半分夢を見た後は、眠気は霧が晴れたように立ち消え、思考が明瞭になる。あるいは、夢読みとはこういう感覚なのかもしれない。