恥部か、仮面か。
子供の頃から、仮面を見ることができた。幸か不幸かは分からない。それが、人が着けた仮面をありありと見て取れることが、非常に役立つ場合もあったし、そのせいで酷く悩んだこともある。未だに答えは分からない。しかし、どんな天変地異が起ころうとも、僕の目に仮面が映る事実は変えようがない。解釈の限界を超えた粛然たる事実。そういうものって、あれこれ考えてもしょうがない。
ただ、ひとつ確かなこととして、僕は仮面をひどく忌避している。友人だって、家族だって、時に仮面を着けることがある。思春期に浴びるように仮面を見せつけられた僕に、仮面を必要悪と捉える余裕は残されていなかった。
しかし、仮面とは悪魔的に便利なものである。その都度、その時分に合う仮面を着ければ終わり。外部性で完結するその処世術は、それを良しとしない僕にとっても、都合のいいものではあった。僕は仮面をつけないため、自分の内面性を晒す必要がある。つまりは、恥部を露わにする場面が多々ある。それって、結構こたえるものだ。
しかし、僕は仮面を付けないと決めた。だから、恥部を晒しながら、街を歩き、社会に生きている。