虚業と、自分が歩いている道と。
時々、思うことがある。何事も知りすぎないことが大事なのだろうかと。時々、悲しくなる。人の内奥を認めてしまった時。人間の深みは海のように底知れず、恐怖はそこでひらひらと泳いでいる。それは私を時に誘い、時に襲う。私は、他人が怖い。
何を持ってある生業を虚業するかは人それぞれだけれど、私が思う虚業は人と異なっている。最大多数の最大幸福。私はそれが最大幸福でないと思うから、その生業に参加する人を驕慢しているが、私の周囲の幸福量を考えるとどうだろう。私の歩いている道が虚業と思われている場合。それを、私は最も恐れている。他人の考えていることは分からない。私は、怖い。
私が異なる道があることを知って、そこへ進んでしまった。私の行為は、最大幸福ならざるものであったのだろうか。時々、思う。
しかし、歩むことをやめてはならない。私がするべきことは、苦しい過程でも善く生きることだ。善く生きていれば、私が進んだ道で周囲が苦しむことはない。私は善く生きてみようと思う。今日も明日も、善く生きるのだ。