たばこ。
たばこの煙を通すと、これまでの情景が現像される。それは写真や映像なんかよりずっと鮮明で、ずっと精緻な現像だ。それは、煙を通すことでその瞬間の心象までもが回想されるからなのかもしれない。
たばこに対して味や成分を希求するのは、筋違いだと僕は思う。もちろん、人には好みがあるから、吟味すること自体を否定する訳ではない。しかし、そのような俗物的な視点に捕らわれて、たばこがもつ美しい役割を見落としてしまうのは勿体ないと僕は思う。僕は煙を通して、逆さ富士を見ることも100万ドルの夜景を見ることもできる。煙草を吸うという行為は、そのような豊かさを確かに孕んでいるのだ。
僕は家でも酒場でも、好んで煙草を吸うことはない。だけれども、素晴らしい景色や情緒に訴えかける光景と独り対峙した時、マッチを擦る。そうすることが、何より心を映すのに適していることを知っているからだ。