夜道を歩く。
思索には夜道がいい。街灯がなければ尚いい。月暈がぼんやりと浮かんでいる日は、とにかく歩いた方がいい。それが、僕の経験則だ。
なぜ、暗い夜道が思索に適しているかを考える。それは、現実と非現実の境が曖昧模糊とするからだと思う。歩いている感覚が徐々に失われていき、頭の中に思い描く情景にストンと入り込むことができる。それは、かつて僕が経験した記憶であることもあるし、可能世界を限りなく綿密に描くこともある。涙が溢れる時もあるし、怒りに震える時もある。夜道の僕は、いつもの僕より感情表現が豊かだ。
どこまでも続く畦道を歩く。僕にとって夜道を歩くことは手段ではなく、それ自体が目的だ。やがて、束の間の非現実には切れ目が訪れる。自分の深層へと向かっていく旅も、時には悪くない。