袖珍本。
「何か読むものはない?」
彼女は助手席ですこし退屈そうだった。やけに真っ直ぐな高速道路を走っていたから無理もない。僕はジャケットのポケットから『サラダ記念日』の文庫本を取り出し、彼女に手渡した。
「やっぱり、君は悪くない人だね」
「どうして?」
「だって、『サラダ記念日』を持ち歩いている悪人なんていないもの」
確かに、そのような傾向はあるかもしれない。犯罪者のポケットから『サラダ記念日』が出てくるところは、さすがに想像ができない。
「何か一編、諳んじてみて」
僕は4番目くらいに好きな一編を声で象った。
「〝愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う〟」
彼女は120円のホットコーヒーを一口含んで、ゆっくりと飲み込んだ。
「こういうのって、素敵ね」
「こういうの?」
「つまり……一つの詩を共有して、それを秘密にすることが」
幹線は相変わらず続いている。どこまでも続く幹線の上で、僕たちは秘密を共有している。