金色兎。
飼っていた兎が卵を産んだことがある。それが魂そのものみたいに兎は死んでしまって、僕は訳も分からずそれをタオルでくるむことしか出来なかった。兎は僕が思っていた以上に心のよすがであったみたいで、僕は蕁麻疹を掻きながら枕を濡らしていた。そんな風に一ヶ月ばかりを過ごした。
くるんだタオルを解いてしまえば、全てが終わってしまうような気がしていた。それは本当に魂で、すでにそこに形はないのかもしれない。僕はタオルに触れることさえできなかった。だからその日、雷に打たれる夢を見たのは紛れもない天命というほかがない。僕は沐浴をさせるみたいに恭しく、タオルを解いた。そこには、金色の像があった。狛犬のように敬虔な鎮座をする兎。僕の信仰はそこから始まる。
ラビット・リリージョンが人口に膾炙して久しいけれど、そういう信仰的体験を兎は簡単にもたらしてしまう。だから、兎を羽で数えるだなんて、言葉を選ばずに言えば陋習だ。崇め奉っても身に余るくらい、金色の像は今も輝いている。まるで、隣の宇宙を生むビックバンみたいに。