If.
煙を吐けば君を思い出してしまう。
ウイスキーを見つめている。グラスの中身が何であろうと、状況が変わる訳では無い。仮に気まぐれなオーダーの振りかざし先がワイルドターキーであろうが、シーバスリーガルであろうが、それは瑣末な違いさえ持たない。今目の前にあるカリラ12年は、そういう含みをもった首肯をしている。僕はそれを見てもなお、堂々巡りのIfに耽溺している。蜘蛛の巣で生を希求する小さな蛾のように。
この恋は映画にならない。継ぎ接ぎをしてしまえば、それは一幕さえの尺を満たせない。でも、それに意味を見出そうとしている。プロパガンダと作品性を両立させよ。難題を突きつけられた(あるいは、銃口を向けられた独房の中で)脚本家は、溜息をつくことさえ許されていない。時限爆弾が不発へと逆戻りするプロットは、プロットですらないと言うのに。
煙の向こうに君を見出してみる。それはとても簡単で、シャーマンの資質は必要がない。だからIfを重ねている。例えば君の耳朶を食む形を、僕はバーカウンターで見つけようとしている。 それが幼気な愛憎であることは、初めから分かっているのに。