八時間の一日。
私は眠りを司る何かと契約をしてしまったようだ。この頃生活習慣が乱雑だったが、それは契約の過程によるものだったのかもしれない。私は15時30分に起きる日々を繰り返し、それを確信した。
私はもともと戦前のドイツ人みたいに几帳面な性格だった。目覚ましがなくても定刻に目覚め、どんなに面白い映画のクライマックス中でも定刻に眠るような人だった。眠りはとても深かった。だから、地震が起きたわけでもないのに眠りが中断されるようになったことは、私にとってまさに天変地異な出来事であった。日を追う事に中断の回数は増え、眠りも浅くなった。日中も白昼夢を見ているようにぼうっとするようになった。ものをよく落とし、よく躓くようになった。外に出なかで、ベッドの上で眠りを願い続けた。
その夜、12時を回った瞬間に私の意識は断絶した。そして、気がついた時には15時30分を迎えていた。深淵の方から覗き返されているような眠りだった。自体を理解するのに、エチルアルコールが必要だった。外出をし、財産権の讓渡を行うことで生きてることを確かめた。家へ帰り24時を迎えると、瞬きをするみたいに15時半になった。そういう日々がこの頃続いている。
少なくとも、私は八時間の一日をしばらくは過ごすみたいだ。何よりも、夢を見ることが出来ないのが苦しい。私が今この瞬間求めているものは、夢である。