死生観。

死と生が両極でないことは周知の事実である。我々はしばしば向こう側、であったり、彼の世、であったりと死と距離をおくことがならわしとなっている。それは、本能的な死に対する恐怖に端を発するのではなかろうか。人間という生き物は知らないものを嫌うから、しっかり死と対峙することができればその恐怖は幾分かましになるとは頭では理解する。しかし、例えば心臓がトクンと止まる瞬間を想像するだけで、居た堪れなくなるのがホモ・サピエンスたる想像力というものの副産物だ。死は怖い。死ぬのが怖くて、生きている人もいるくらいだ。

そして、何より人間の奇妙でおかしな所は、理解できないものに対して、蠱惑的に魅せられる性癖を持ち合わせているところだ。死は、ふとした瞬間に私の耳を支配し、囁く。駅のホーム。貨物列車の通過。砂浜。潮騒と荒ぶる波。炎。有機物=体躯。

つまり、死と生は同質なのだと思う。二元論は人間の拙い誤解に過ぎない。我々は常に選択し続ける。生き続けているというのはちょっとした奇跡で、同時並行的に死んだ私は、私の中で不思議と生きている。そういった宇宙的な関係性を内包して、心臓は鼓動している。その一拍一拍は、屍が動かしている。

ふとした瞬間に私は死ぬだろうか。しかしそれは生きていることとさして変わらないのではないかと思う。

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