「ゴリラを焼く」
「わたしが死んだら、棺桶にはバナナを入れてね」
そんな言葉を遺して妻は死んだ。妻はゴリラだった。正確に言えば、ゴリラとなって未来から戻ってきた。
二年前、フューチャープランという胡散臭い名称の国策が始動したことがそもそもの始まりだ。
三百年後の未来に人を送る。転送先で必要とされる能力は予測不能なため、幅広い人材が求められた。科学技術者、宇宙飛行士、冒険家、オリンピアン、レーサー、精神分析医などのエキスパートがまずは候補に挙がる。さらに農家、大工、猟師、発明家、測量士、芸人やマジシャンといった多様な職種に加えて、「一般人」からも抽選する。それで妻が選出された。
通知は青い封筒で届いた。未来へ人を送り込もうという時代において、伝達手段は公的なものほどアナログ化されていた。
「交通費っていくらもらえるのかな」
自らの言葉に妻は笑う。それなりの圧力はあったけれど、辞退することもできた。何しろ一般人なのだ。それでも、未来のために、と妻は旅立った。それは人類全体のことを指すのか、先々まで手厚い報酬を受ける我々のことなのか、私は尋ねなかった。
一年以上にも及ぶ訓練を経て、出発の日が訪れる。施設内の広いスペースに定員一名のポッドが横一列にずらりと設置された。その丸い形状と白い色から、カマクラの名でも知られる装置だ。当事者の妻は「お饅頭」と呼んでいた。
正午過ぎ、ほかよりも少し遅れて妻が未来へ旅立つ。細かい振動がしばらく続き、不意にポッドが消えた。私は自宅からネット中継で見送った。現地への招待はついに届かなかった。夕方のニュースで流れた映像は不出来な映画の不出来なダイジェストのようだった。
一通りテレビ番組を確認したあと、神社近くの和菓子屋で饅頭を買ってきた。妻用のドレッサーに供え、手を合わせて短く祈る。そして夜中にそれを食べた。
帰還は二十一日後の予定だった。妻は出張中なのだ、と思い込む。これまでも仕事で家を離れることはあった。それでも長くて三日程度だったし、出先の妻と連絡を取れた。
最初の七日間は心配しまくり、次の一週間は少しのびのびと過ごした。それ以降は不安が強まるばかりだった。
未来は暗闇だった、と妻は言う。視界は黒一色で埋め尽くされている。咆哮が轟き、肉と肉がぶつかり合うような激しい音も聞こえてくる。恐怖と混乱に陥った妻はポッド内で動かない。そのうち明るくなって叫び声も収まるかもしれない、とじっと待つ。けれど、状況は変わらなかった。時間の感覚は最初から失われていた。やがてポッドは帰還態勢に入る。アラート音がけたたましく鳴り響く中、妻は意識を失った。
二十三日後、妻はゴリラの姿で戻った。そこは出発地点の施設から五百メートルほど離れた川岸だった。ポッド本体だけでなく、映像や音声を記録するガジェット類も消失していた。
どうも何かがおかしい、と思いながら妻は見覚えのある建物へ向かう。そこで敷地内に紛れ込んだ動物と間違われ、麻酔銃を撃たれた。発射とほぼ同時に、撃たないで、と妻が叫ぶ。その結果、重要案件として扱われることになった。戻ってきたのは妻一人だけだ。ほかは誰も生還の確認が取れていない。
妻は強制的に隔離された。厳しい質問が執拗にくり返され、あらゆる検査や調査も長期にわたって続いた。妻が生きているということしか、私は知らされなかった。いつわが家に帰ってくるのかわからないまま、生存を信じて待ち続けた。
「ムダ毛の処理、さぼりまくっちゃった」
ようやく戻ってきた妻が言った。私はうまく笑えなかった。けれど、なぜかその第一声で目の前にいるのが妻だと信じた。
予定とは違う形で私たちは給付金を受けることになった。これからも支給されていく。妻には誰とも争う気はなかった。未来で感じたことや隔離生活の多くについて口をつぐんだ。実際には深刻で重大な事態が起こっていたとしても、私が妻から聞かされた話はひどく限定的なものだった。
妻の声色は変わらない。独特な笑いのセンスも元のままだ。私たちの会話に悲劇めいたところはない。時折、妻は自虐的なギャグを挟む。棺桶にバナナを、というのもその一環だ。妻は以前から、そしてゴリラになったあとも果物全般が苦手だった。
背の高さにほとんど変化はない。それでも胸板は分厚く、腕や肩周りの筋肉は異様に盛り上がっている。妻は腰を丸め、両手も使いながら家の中を歩き回る。黒い毛で覆われた身体を隠すことはない。頭ではわかってはいるんだけど、何か着るほうが恥ずかしい、と照れ臭そうにつぶやく。
未来はゴリラだけが生き残った真っ暗闇の世界なのだ。とりあえず、私と妻は適当すぎる答えを出した。フューチャープランの話はこれでおしまい、というわけだ。
妻の帰還とその変化について、一部の知人には漏らしていた。出発時の盛り上がりから一転、テレビや新聞はまるで続報を扱わなかった。それでも、プロジェクトは継続中、ということになっているらしい。誰も私に詳細を教えてくれない。口座への振り込みを知らせる青い封筒が定期的に届くだけだ。
もちろん、マスコミや世間から好奇の目を向けられないことはありがたい。私も妻も静かに暮らしたかった。
時間を超えて行き来することによるダメージなのか、ゴリラの身体で意識は元のまま、という歪みが負荷をかけるのか、妻は次第に衰弱していった。呼吸は乱れ、夜ごと嗚咽がくり返される。食欲も衰える一方だった。
いよいよ体温が下がり始める。妻は長く眠るようになった。動物病院と一般的なクリニック、そのどちらで診てもらえばいいのか、私にはわからなかった。妻に尋ねると、このまま寝ていればいい、と苦しそうな声で答えた。
再び一緒に暮らして三か月が過ぎたころ、妻は死んだ。最後に何かをささやいたけれど、私はその言葉をくみ取れない。無理を承知で何度も聞き返す。私の問いもまた、まともな形を成していなかった。
結局、こちらの状況は何もかも把握されていたのだろう、すぐに医師が現れた。青くて濃い髭が顔の下半分を埋め尽くしている。死亡診断書を置いて、男は無言で私たちの家から立ち去る。
妻が遺したユーモアを昇華させる。あるいは、あれは本心ではなかったのかもしれない。けれど、私なりに未来から戻った妻を送る。何かが滑稽だとしたら、あんなプロジェクトではなくて、妻の一言のほうが圧倒的にそうであってほしい、と強く願う。
葬儀会社へ連絡した。担当者に事情を話す。今どきの冠婚葬祭には様々なケースがあるのか、相手は顔色一つ変えない。淡々と葬儀の内容が決まっていく。高さと横幅が特別仕様の棺桶を勧められた。
大量のバナナを用意できるか、試しに尋ねてみる。かしこまりました、と担当者はオプションの説明を始める。最終的に生産地まで選ぶことになった。
当日の朝になって、青い封筒が届いていることに気づいた。妻が死んだあとでも尚、振り込みの通知は送られてくる。私はそれを開封もせず、ドレッサーの上に置いた。
葬儀にはたくさんの知人が来てくれた。そのほとんどがおおよその事情を知っている。受付の時点から泣き出す人もいた。ただ、もはや例のプランに関わる人物は姿を見せない。
妻の家族と挨拶を交わす。彼らとは結婚前からぎこちない会話を交わす関係が続いていた。ここでも似たような空気になる。そのことで胸を痛める妻はもういない。私たちは同じタイミングで祭壇を見やる。遺影を前にしているのに、血の繋がった家族がすぐそばにいるのに、妻の元の顔がうまく思い出せない。
葬儀の終わり際、いよいよ棺桶にバナナを入れる。妻の腕に手を伸ばす。死後硬直とは別に、全身の黒い毛が以前よりも強ばっている。頬を撫でると、手のひらがじんじんと痺れる。
この状況下で誰も笑わない。妻の、私のユーモアは届かない。笑いのセンスがずれている。誰かが笑ったとしても、きっと傷ついただろう。古い友人たちが手伝ってくれた。一本ずつ房から切り離し、棺桶いっぱいにバナナを敷いた。熟れた香りと青さの残る果実の匂いが混じり合い、妻を包み込む。祭壇に飾られた大量の白い花が余る。
火葬場へ移り、最後のお別れをする。開いた小窓からバナナに埋もれた顔を眺める。すすり泣く声が聞こえてくる。私は妻の名を呼び続ける。
棺桶が焼却炉に送られる。なめらかに壁の向こうへ吸い込まれる。再び、妻が消える。未来へ旅立ち、元の姿を無くし、日常の生活から切り離され、そして息を引き取った。これまでに何度となく、いろいろな形で妻を失ってきたけれど、この瞬間が一番悲しい。
妻が骨になるのを待つ。通常よりも時間がかかるらしい。息苦しくて、一人きりになりたかった。控室を離れて館内をうろつき、そのまま外に出る。駐車場をゆっくりと横切る。やたらと広くて車もほとんどない。先には緑に萌える若い芝生の広場が見えた。私はそこまで歩く。鳥か小さな獣が鳴く。それ以外はあまりに静かだ。芝のやわらかさを足の裏でしっかりと感じる。
燃える妻と繋がる煙突なのかはわからない。二本並ぶうちの一つから黄色い煙が立ち昇る。鮮やかな色味で、もくもくと湧き上がる。遥か頭上でゆらめく煙を眺めていると、染みるように目が痛む。灰色でも黒色でもない、黄色の違和感は強烈だ。バナナのせいかも、と考えてしまうのは、たぶん、かなり、ばかげている。
それでも、黄色→バナナ→ゴリラ→未来、という雑な連想ゲームから逃れられない。あれは未来の色なのだ、と心から思いたかった。暗闇だったと妻は言ったけれど、今はそれを信じたくない。未来はバナナ色。これが一人きりになった私が出した、とびきりくだらない結論だ。いつか、そのでたらめさを笑うことができる。
やがて煙も霞む。午後の青すぎる空にバナナの余韻が散っていく。私はここで時間をつぶす。すべてが消えて見えなくなってしまう、もう少し先まで。