「鈴式」
成人してから十年近く、左の肩甲骨付近にできものがあって、膿が溜まり続けてきた。ときどき腫れて漏れてくる。匂いは強烈だったが、いつからか慣れた。シャツを汚してしまうので常に絆創膏を貼るようになった。それでも膿が染み出し、周りの人々はそれを憎んだ。
できものを取る決心をしたのは川沿いの温泉街だ。一人きりなった私は故郷を出て、ここにたどり着いた。寂れた通りをぶらついているうちにその気になった。飛び込みで皮膚科に入る。具合よく話が進み、翌日に手術することが決まった。
消毒と麻酔のあと、切除作業は三十分に渡った。うつ伏せでベッドに寝転び、枕を胸に抱える体勢で過ごす。鈍い感触はずっと続いていた。スキンヘッドの医者がときどき苦しそうな声を漏らす。五分に一度、席を外した。やはり、この匂いは人を不快にさせる。
膿の袋は無事に取り除かれた。代わりに穴ができて、そこに鈴をつけられた。
「立派な袋でした、どうぞお大事に」
医者が目と鼻を濡らしながら言った。頭を下げると、鈴が鳴った。
硫黄泉の匂いが漂う夕暮れの坂道を下って宿へ戻る。その間も鈴が揺れる。風情ある音が響く。肌に当たるひんやりとした鈴の感触で、自分は生まれ変わったのだと確信した。
大浴場には行かず、部屋のシャワーを使う。お湯をかけると傷は染みたし、鈴が鳴った。鏡越しに確認したところ、穴からこより紐が伸びて小さな鈴がつるされている。鶯色の表面には鈍い光沢が浮かぶ。あとになって、当日は風呂を控えるように言われたことを思い出した。夜中、傷口から全身に熱が広がってうまく眠れなかった。
紐を貼りつけてもらおうと思った。絶えず鈴の音を聞いているのも辛い。再び皮膚科に行く気はなく、風俗店で頼むつもりだった。
温泉街の奥まで進み、ようやく見つけた店に入る。裸になった私の鈴を見て、へえ、と女が言った。肩まである髪の半分は黒、もう半分は銀色に染められていた。私は反復横跳びを始め、鈴を鳴らした。すると女が笑った。
紐を留めてください、と願う。膿を出したせいか、性欲までなくなっていた。リフトアップ用のテープがあるはず、とか口にしながら、女は狭い個室内でポーチを探し始めた。
「だめだ、全然見つからない、おかしいな」
申し訳なさそうに女が言った。それじゃあ、どうする? 始める? と切れ目なく尋ねてくる。今度は私が申し訳ない気持ちで、少しもしたくありません、と答える。
「鈴が鳴らなくなったとき、また来ます」
最低で最高で最低、と女が大げさに手を叩く。それじゃあ、時間まで踊りましょう、と私は即興で身体を震わせた。鈴がでたらめに鳴った。もう女は笑ってくれなかった。
日々、温泉地をうろつく。背中で鈴が鳴る。外で聞いている分には、その響きは穏やかでやわらかい。穴は塞がりそうにないが、痛みはすぐに引いた。しっかり薬を飲んでいるおかげだ。私は温泉に浸かっていない。部屋のシャワーで身体を洗う。半透明のテープを入手したものの、一人でうまく留められなかった。貼ったつもりでも、すぐにはがれてしまう。
地元の祭りがあるという。日が落ちてから神社へ向かった。鵺の親戚みたいな、さまざまな動物の部位で成り立つ神様が祀られているらしい。出店も並んでいて、特大のいか焼きを食べた。口の周りが汚れてしまい、手で拭うとひどくべたついた。ラムネを半分まで飲んだあと、残りで手を洗う。瓶をゆっくり傾けて少しずつ中身を注ぐ。不快感はまた別のものへすり替わっただけだが、こちらのほうがましだった。
くぼみに残るガラス玉を揺らしていると、声をかけられた。風俗店の女だ。カジュアルな浴衣姿でやはり髪は黒と銀の半々だった。店で見たときは左右反対だった気がするのだが、私の記憶はあてにならない。少しだけ全身が熱くなった。
「あの鈴はどうなった?」
重そうなりんご飴を振りながら女が訊いた。飴の表面は艶やかで、一口もかじられた様子はなかった。
神社裏の竹林に移る。女がテープを貼ってくれることになった。確かに浴衣には不似合いなごつごつしたポーチを抱えていた。Tシャツを脱ぐと、汗が引いていく感触が心地よかった。
鈴の紐を留めてもらう。女の指が肌に触れると、鈴が小さく鳴った。穴がどんな具合か尋ねようとしたとき、町の端で花火が上がる。それは思いのほか大きく、遅れて周囲の空気が震える。絵具を水で溶いたような淡い光が瞬く。私たちは竹の間から空を眺めている。
「スターマインだ」
女は笑う。ふくらはぎの一番やわらかいところを蚊に刺された感覚がはっきりとわかる。
「最高」
りんご飴の棒がしなる。爆ぜる光の下で濃い煙がたゆたう。地面に立てたラムネの瓶が倒れる。中でガラス玉が回る。鈴が小さく震えている。ただ、その音は聞こえない。
鵺もどきの神様を象った花火が打ち上がる。夜空に黄色い光が放たれる。鷹や兎、馬、得体の知れない竜のような生き物、それぞれの部位ごとに分かれて広がる。境界線が崩れて落ちていく。鈴のひんやりとした感触が蘇る。女は気が狂ったみたいにまだ笑っている。