
「自由ででたらめなパルルッソ」
横一列に並ぶ尻、尻、尻。そしてまた尻。決勝進出者のそれはまぶしいほどに輝いて見える。一つ前のラウンドで退くことになった俺は胸が苦しい。羨望や後悔によるものかもしれないが、この感情の正体をつかめない。
テンションの高いSEが流れる中、ファイナリストの紹介が進む。満杯の場内が大いに沸く。ギー州の巨男やスノウレイクの少女、浮輪島のモラ族長老など顔触れも多彩だ。四年に一度の最高峰の舞台、パルルッソ記念の覇者がついに決まる。
ステージ上の全員が背を向ける。尻の高さはまちまちだ。手前にオイド桶が一つずつ用意される。中は発光液で満たされている。温い風が吹き、表面がわずかに波打つ。
競技場が静寂に包まれる。観客も含めて全員の動きが止まる。緊張感は極限まで高まり、ようやくスタートの号令がかかる。重低音の効いたビートが刻まれる。これはBPM120に規定されている。リズムに慣れた俺の身体が自然に反応する。
誰もすぐには始めない。俺ならまず仕掛けるけどな。外から見ているとそう思うものの、準決勝では腰が引けて周りの出方をうかがってしまった。大事なときこそ弱さが露呈する。俺の心は乱れる。それでも音に合わせて下半身が揺れる。
スノウレイク少女が不意に動く。桶に尻をつけて五秒ほど固まる。ギー巨人と縷々砂漠舞踏団のリーダーが続く。俺は息を止めて注視する。少女は腰を上げ、小気味よく左右に尻を振る。発光液が染みた臀部に摩擦反応が起こる。パッションイエローの軌跡が描かれる。
モラ長老が短く浸した尻をゆったりと回す。残りの面々もそれぞれのスタイルで動きだす。すでに観客は総立ちで、最初のウェーブが起こる。
各々が尻文字を描き続ける。中空に「パルルッソ」が浮かぶ。ストロークの長短や速度、液に浸す長さによって、発色の強弱や字体が変わる。
ビートは力強さを増し、手拍子と歓声が重なる。優雅でワイルドで感傷的なパルルッソが次々と浮かんでは消える。
俺はTSチューブに乗っていた。決勝の光景を思い返すたび、落ち着かない気分になる。
優勝者は極北グリーンエリア出身だった。肥満体のそいつが描く最後のパルルッソはかつてないほどの高さまで飛翔した。鮮烈な光の文字が上空に大きく広がる。刹那の停止のあと、一つ一つが解けるように降ってくる。少しずつ輝きは弱まる。それらは色を失い、やがて消えた。
うつくしく儚い尻文字だった。ヒューマンジャッジ及びAIジャッジ、観客と視聴者のスコア、あらゆるカテゴリーで圧倒的に高い評価を受けた。
チューブは月山と星山の間を抜ける。遥か遠くに希望の円塔が見えた。移動中でもその象徴的なシルエットを確認できる。俺は決意を固め、次のスポットで降りることにする。
到着にはまだ少し時間がかかる。フォトミラーを起動させた。近代尻文字パルルッソの祖とされる人物のイメージがポッド内に浮かび上がる。尻を覆うマキマキも開発されていない時代のため、シンプルなボディスーツ姿だ。どの道場でも2Dビジョンとして正面入口の壁に飾ってある。入退場する際には一礼を欠かさない。
発光素「念」が発見される前、尻文字は慶事における余興の一つに過ぎなかった。まず最年長者が披露する。尻で「寿」を描く。それによって文字通り、言祝ぎの意も帯びる。途中からほかの参加者も交じって尻を振る。そのうちに元の動きから逸脱していく。不揃いな様子に皆で大笑いする。
研究開発を経て実用化に至った発光素がこの伝統と結びつく。競技化の礎を築いたのが件の人物だ。こうして体格差や性差、年齢にも縛られないスポーツが誕生した。
はじめて念を塗りつけた尻をでたらめに動かした際、浮かび上がったものが「パルソ」だ。競技で描く文字はそれを基に規定された。時代の経過と共に変化していき、「パルルッソ」に定着した。
このような由来に関しては記念館のパネルでも確認できる。ただ、あまりにもできすぎた正史だと関係者の一部から揶揄されてもいる。
ミラーを畳む。イメージが消えたあとも周辺の空気がちりちりと揺らめく。俺はTSチューブからポッドごと離脱する。
セブンス・シティに帰るのを少しでも遅らせるつもりだ。決勝に残れず、仲間の期待を裏切ってしまった。慰めやねぎらい、健闘を称える声を聞くのはできるだけ先延ばしにしたかった。
スズリ村は土と草が多く残る地域だ。丸型の高山が連なり、一帯を覆う。奥には空を突くように伸びる塔の影も見える。
川沿いで子供たちが遊んでいた。流れは緩やかで底も浅い。山から雪解け水も流れ込み、清く澄んでいる。
ここに立ち寄ったのは筆を見せてもらうためだ。信じられないことに、かつて文字を記すための道具はそれしかなかった。液に浸して描くパルルッソの様式はその名残だと言われている。
今や誰もそんな手段を用いない。指先に半透明のLシートを貼って動かせば、字だけでなく絵や記号も各種の媒体に転写できる。アイモニターやタブレットに平面でも立体でも自在に浮かび上がらせることも可能だ。こうした入力システムが世界中に浸透している。
もちろん、この村も同様だ。あくまで歴史的遺物として筆を保管しているに過ぎない。
年に一度、揮毫夜が執り行われる。筆を使うのはこの夜だけだ。墨墨草を絞った液体に浸して字を描く。その植物はスズリ村周辺でしか自生しない。
残念ながら儀式は数カ月も先らしい。以前、アーカイブで見たことはあった。だが、筆の存在もそれで字を記すという行為も一般的にはまるで興味を持たれていない。
黒い坂道を下り、窪地にある役所を訪れた。受付の職員に声をかける。
男は自らの両肩に左右それぞれの手を乗せたまま、片膝をついた。俺にはその意味がよくわからない。筆を見たいと告げる。男は怪訝そうな顔をした。だが、すぐに態度が変わった。俺の名前を口にする。迷ったものの、素直にうなずく。
すごかったですね、私的には満点でしたよ、と声をかけられる。ほかの職員たちも集まってくる。パルルッソ記念に出たおかげか、この村でも存在を知られているようだ。彼らもまた一様に、手を肩に乗せた状態で片方の膝をついた。
施設まで案内してもらう。来たときとは違う坂を上っていく。後ろにずらりと野次馬の列ができる。
そこは石造りの四角い建物だ。奥に筆が飾ってあった。直接触れることはできないが、間近で観察する。軸の部分は木製で、思ったよりも太くて長い。先のほうがふさふさしている。今は存在しない羊という動物の毛を使っているらしく、かなりやわらかそうだ。
墨墨草から抽出した液体は壺に保管されている。中を覗いても何も見えない。許可を得たので指先を浸してみる。温く、ねとりとした感触だ。爪の間がくすぐったい。
壺から出すと指が黒く染まっていた。洗い流しても落ち切らない。鼻に近づけるとかすかに甘い香りがした。
集まった人々からサインを求められた。黒ずんだ指にLシートを貼りつける。しばらく自分の名前と御尻マークをさまざまな媒体に写し続けた。結局、俺はこの村でたっぷりと慰労の言葉をかけてもらう。
是非、揮毫夜のときにまたいらしてください。受付の男が真面目な口ぶりで言った。
字を描くのは誰なんですか? と俺は訊いた。人垣をかき分け、筋骨隆々の女が笑顔で近づいてくる。目の前で立ち止まると、女は肩に手を乗せて片膝をついた。それから握手を交わす。その掌はやわらかく、ひんやりとしていた。俺は指先の汚れが恥ずかしかった。
式で描く字は決まってるんですか? と尋ねる。無愛想な口調になってしまった。
そのときごとに違います、あ、いえ、今の言葉を描くわけではないです、そのときごとに違うんです。女は苦笑いを浮かべ、右頬を掻いた。
川辺にはまだ子供たちがいた。水で濡らして尻文字めいた遊びに興じているようだ。パルルッソ記念の熱狂はこんな形でも現れる。いくつかの小さくて丸い尻が揺れる。
その動きはどれも自由だった。文字を描かない。一律のBPMなんてものは存在しない。でたらめな軌道で尻が走る。それでも飛沫は跳ねる。小さな水の粒に陽光が輝きを宿す。にぎやかな声が途切れることはない。この情景に強く胸を打たれる。
俺もそこに混ぜてもらう。マキマキを履いているものはいない。これも競技用に定められているだけで、そもそも服装に縛りがない。あらゆる面で解き放たれているからこそ、パルルッソはここまでの隆盛を迎えた。それが今では芸術点という一つの基準にあまりにも囚われている。まさにその信奉者かつ犠牲者が俺だ。
川に尻をつける。ものすごく冷たくて、ひいん、と声が出た。子供たちが一斉に笑う。俺のことを知っている子もいて、尻文字の手本を見せて欲しがる。そいつも右肩に右手、左肩に左手を乗せて片膝をつく。俺はそれを真似した。ほかの子供たちも続いた。その連鎖はダンスの一部みたいだった。
自由に。俺は言った。律儀に「自由に」と尻で描こうとするやつもいる。だが、たいていの子供は思い思いに身体のあちこちをくねらせる。尻以外でも、つま先や膝、肩や顎、さらには髪の毛も濡らして雫を散らす。
自由に。尚も俺は言い続ける。尻全体を跳ね上げ、子供たちに水をかける。すぐさま、ばしゃばしゃやり返される。俺もまた応酬する。
水滴が飛び交う。その透明な軌跡は見えない。何の文字も浮かび上がらない。やけに気色の悪い笑い声がすると思ったら、俺自身だった。そんな驚きさえも新鮮で楽しい。
この感覚をつかんでいたら優勝できたかも。そう思うそばから、俺の尻の動きはますます無様に乱れる。指の黒い染みは薄くなったものの、まだ完全には消えていない。
〈了〉