見出し画像

おしまいの季節


べつにそんなポエムみたいなことを書きたいわけではないのに、タイトルがそれっぽくなってしまった。記念すべき初めての投稿から終わりについて書くのは如何なものなのだろうか。

突然こんなにも寒くなってしまって、ふざけるなよ地球!と分不相応な怒りを抱えながら最寄駅から家までの道を歩いた。今日の最高気温は15度。10月も半ばになればそりゃあ妥当な気温かもしれないが、たしか1週間前は25度あったはずだ。私如きの身体が適応できるわけないだろう、ナメないでほしい。

空気が冷たくて、空が暗くなりつつある。車や通行人も確かにいるはずなのだが、誰からも私の姿は見えていないような、そんなうっすらとした孤独を感じる。そしてどこにも行けないような閉塞感。このまま身体の輪郭がぼやけて、夜の闇に消えてしまいそうだ。

ふと、世界が終わる日もこんな感じなのだろうか、と考えた。どうしちゃったのかな。きっと疲れていたんだと思う。

日頃から私の思考回路はぐちゃぐちゃに絡み合っていてムーンライト伝説顔負けのショート寸前状態ではあるが、こういった途方もない方向に振り切れることは少ないと思う。突然の寒さは人を狂わせる。

折角なので狂ったついでに世界の終わりに想いを馳せてみた。確かにこのまま静かに何かが終わりそうな気配はある。少なくとも真夏の昼間とかよりは終末っぽさがある。

しかし、もっと終末っぽさ、というよりも死の気配が漂う季節が確かにあった。私は春先のことを思い出した。

コロナ禍でなかなか外に出られず、人にも会えずに引きこもる日々。スーパーに出かけるために久しぶりに外に出たら、嘘みたいに天気が良くて、マスクをつけた親子が遊ぶ公園では桜が綺麗に咲いていた。4月上旬のことだったと思う。

天気も良くて、空も青くて、写真を撮ってみたら桜も綺麗に写って。溢れ出る生命力を感じるべきなのに、私が感じたのはそんなものとは真逆の死の気配だった。

先の見えない世の中に疲弊している時に見る生命力に溢れた綺麗な景色は、どこか他人行儀でつめたくて、恐怖すら感じるほどであった。

私たちがこれまでとは違う生活に困惑している最中でも、空は悲しいほどよく晴れるし、桜は綺麗に咲く。そんな普遍性が心の励みになることもあれば、自分だけが置いていかれてしまうような焦燥感を覚えさせることもある。その日の私は明らかに後者だった。心の状態によって、同じ景色も見え方が変わるのだ。

春先に感じた死の気配に似た終末感をいま感じたということは、心の状態があまり良くないのかもしれない。早く帰って温かい湯船にゆっくり浸かろう。たくさん寝よう。今日はなにもできなくていい。


ホットミルクで温まって、アロマを焚いて眠りについた。……というような終わり方にしたかったのだが、結局家に帰ったら元気になってしまった。私はお家が大好き。最後までポエムな生き様をやりきれなかった。残念。

ベッドにもたれてぼーっとしながらスマホを触って。めんどくさいなぁと思いながら湯船にお湯を張って。たっぷり寝るつもりだったけど24時すぎに就寝。


結局毎日そんな感じだ。世界の終わりの季節のことなんて家のドアを開けたその瞬間には忘れてたけど、私は春だといいな思う。ハッピーエンドっぽいからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?