2020.12.10 am3:46
良い、悪い。善、悪。肯定、否定。
なんかもう全部いやだった。
私は彼らに謝罪を求めるも中止を求めるもなく、ただ悲しかった。でもそれすら、許されないかもしれない雰囲気に、いつしかこころが窒息しそうだった。その中で自分の立場がマイノリティだったとしても、ただ息をしたかった。かなしいって言いたかった。理解を求めるのではなく、誰かと対話したかった。
何より悲しかったのは、楽しかった同じ人を愛でる人々に見えない線が引かれるような感覚だった。
そして本人から伝えられた「見てから言ってほしい」という言葉に、きっとそれは自分の意見を押し付けるでもなく、作品に対するささやかな願いだったのだろう言葉に、私はギブアップだった。
彼らの姿を見聞きするだけでくるしかった私は、たったの数日間でメンタルに支障がでてきた。他人の気持ちには人一倍気をつかうのに、己のメンタルヘルスをまったく守れてなくて笑える。
それでも私は少ない人生で学んだことを生かし、しばし彼ら"が"見えるところから離れることにした。
1日、2日、3日...
そして私はひとつの結論に辿り着いた。辿り着いたっていうか、行き当たった、というのが正しい気がする。ずーっとぐるぐる考える間に、ぼんやりと、直接本人たちを傷つけるような言葉を投げかけるのでなければ、作品を見てなくても私は私のまま怒って悲しんでいいはずだ、そう思った。
今回の件は"私と彼ら"というだけでなく、なんていうか...私が夜の帰り道をびくびくしながら帰る1人だから、防犯ブザーを持ち歩いて絶え間なく後ろを振り返る、そんな帰り方をしてるから、だからこんなに複雑になったんだと思う。どこまでが赤で、どこまでが青だったのかわからなくなった色水みたいに、どこを掬ってもきれいな色にはならなかった。
なるべく、できればそのまま受け入れようとしたけど、どうやったって私とうまく溶け合うことができずに、ただ私がすり減ってぐちゃぐちゃになっていってたから、これじゃ元も子もないなと思ったんだった。時には私と反対の意見を取り入れようともしたけど、結果的に私の意見は変わらなかったし、もうこんなに一度ぐちゃぐちゃになったのだ、終わりにしよう。
私はあまりにも他人の意見を内在化しすぎる。
私の見てきた彼らや私の大好きな彼らは私だけが定義できるもののはずで、そこから私や彼らがはみ出したのなら私だけが私のことのように感じられるもののはずだ。そう思ってから楽になった。
彼らに対しては何よりも一番シンプルでいると思っていたのに、実際はとても複雑になりすぎていたみたいで、せめてその複雑になりすぎた愛みたいなものが憎しみに変わる前に姿を消したいと思った。まあ、どうなるかもよく分からないけど。
だって、今回のことがあった前と後で私が今までと同じように彼らを見つめることができるかは、正直わからないから。でもそれでいいと思った。
私は私で変わるし、彼らは彼らで変わるだろう。変化にいいも、わるいもないだろう、ただ変わるだけで。
最近はそんなことを思う。
なんだか2020年は、変わらないものと変わるものを深く実感させられる1年だったな。そんな思いに耽る師走の夜。忘れないうちに記す。