情報は受け取るよりも発信する方が恩恵があるのではないか?

私は情報は受け取る側、それをただ利用する側が恩恵をひたすら受けるものだと思っていた。

私は興味のある実学書を500冊ほど読み込み、必要なことや寛容なことをひたすら頭に叩き込み、その中でさまざまな本に書かれていることの法則性・共通性を見出し、この世で大事なことは何かをひたすら探していた時期がある。(「共通性」には真理が隠されているからだ。)
そしてその知識を活かして人生を改善させたり、それを人に話さず隠し、自身だけ恩恵を受けたこともある。

しかし振り返ると、その恩恵は小さな、他人にとって大したことのない些細なものであり、肥大した自己存在感による満足に過ぎなかったものであると思わされる。

現在転職活動を行なっているが、新卒就職の時の苦労を思い起こされる。大して偉くないのに偉そうにしている人間にさまざまなことを要求され、根掘り葉掘り聞かれ、支配者のように振る舞う面接官たちの姿がまたここにもある。(どこにでも。)

しかし最近は一周回って、「なぜこいつらは偉そうにできるのか(偉いのか)」も考えるようになった。

結論から思うに、「公に情報を提供している側」だからではないのか。(情報はサービスと言い換えるべきかもしれない。)
一般企業は我々と異なり、堂々と名前をだし、サービスをだし法に則って経営を行なっている。
対して学歴を威張って屁理屈をこねている私のような人間は、「学歴社会では上のランクだ!」と思い込み、「ただの何も成してない一般人」という、社会的な力関係を理解していないのではないか。

ただで有益な情報を受け取り、利益を得ていると勘違いしていた馬鹿はまさに私なのではないかと今では思う。

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