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いきなりがん

 大腸を内側から撮影した画像を何枚か見せてもらった。画像の多くには、つやのあるピンクの肉壁がきれいに洞窟を形成している様子が写っていた。医者がこちらなんですとペンのお尻で指し示す。その一枚だけ、ピンクの肉壁が崩れて道をふさいでいた。これが腫瘍なんですと医者がコメントをくわえる。腫瘍と呼ばれた奴は、腸壁のピンクより少し黒っぽくて、やる気なさそうにドロッとしていて、自身の増殖をもてあまし諦めているようだった。妻の所有するAKIRA6巻の、細胞の暴走に苦しんでいる鉄雄の姿を思い出した。鉄雄みたいに抗ってくれないのかよと怒りを覚えた。妻は数ヶ月前から腹痛と便秘を訴えていたが、こいつらが頼んでもいないのにでしゃばっているせいであった。

 妻に怒られそうだが、私はほっとしてしまった。正体不明の痛みにああでもないこうでもないと二人で悩み続けるよりも良いと感じた。切除して、後は転移しているかどうかの問題だと思ったからだ。がんといえども、結腸であれば、ステージⅢaでとどまってくれるならば、五年生存率は約80パーセント台。私にはよい数字に見えた。悲観的なものの見方ばかりするいつもの私なら20パーセントの方に固執し思い悩んでしまうのに、楽観的に妻の病気を受け止めた。こんなことは人生で初めてかもしれない。不思議な心持ちだった。

 内視鏡検査をした小さなクリニックで紹介状を書いてもらい、近所の総合病院へ転院した。初診時に、約一か月先の入院と手術日程が決まり、翌日にはCT検査(CTコロノグラフィではない方)やら歯科検査をしてもらった。(術後補助化学療法や放射線治療によって免疫力が落ちた時に、口腔内の病気にかかる恐れを減らす為)

 手術日時が決まったこと、近所であることの安心感、コロナ禍のため平時よりかなり制限されているが面会もできるとのこと、これらもろもろの要因により妻は一息ついた。

 落ち着いたかと思いきや、再び転院することになった。医者であるところの妻方の姉および、姉の医大時代の同級生夫妻の助言により、専門病院に移ることに決めた。お世話になったクリニックと近所の総合病院に紹介状をお願いすることになった。(この時点で初めて知ったが、現在診ていただいている主治医やクリニック、病院が、患者の希望する転院先の病院と、関連や紹介実績がなくとも、紹介状を書くことが可能であること)現役の医者夫婦が言うには、専門病院に転院することはよくあることだがら紹介状を頼んでもなんの問題もないが、期間は二週間かかるって言われるかもしれないね、とのこと。クリニックの医者は、転院を決めた当日昼に電話でお願いしたところ、夕方には受け取れるように手配してくれるとのことだった。一方、総合病院の方は医者夫婦の予想通り二週間かかるかもしれない、急いではみます、とつれない返事だった。CTの画像データーは諦めて、クリニックで撮った内視鏡画像データと紹介状のみで、専門病院の診察を受けるしかないようだ。

 転院を決心してから二日目の朝、クリニックの紹介状一式を持参して総合病院に向けて家をでようとしたところ、総合病院から紹介状を作成したので来院して下さいとの連絡が入った。なんだったんだろう二週間というのは。なんにせよ、ありがたいことであった。CTいや・・・・・・・・・あの輪っかをくぐると、頭の芯までごうごうと音が響いてくるから怖い、と怯えていた妻はたいそう喜んでいた。

 専門病院の初診を受け、入院日と検査日、手術日がずらずらっと決まった。総合病院で予定された手術日より一週間早く受けられることになった。

 再び検査漬けの日々を過ごした。口や肛門から管を入れられて内側を撮られたり、服や皮膚を透かして臓器を撮影されたり、体中すみずみまで記録された。普段、妻はカメラを向けると居心地悪そうな表情をして顔をそらしてしまう。そらさない時は、眉毛を八の字に下げたり、歯を馬のようにむき出しにしたり、唇を口腔内にひきこんで鼻の下を長く延ばしたり、まぶたを半分だけ閉じたり、目を剥いてみたり、まともな表情を見せてくれない。スマフォの中を探しても変な顔しかでてこない。そんな妻は、検査を受けているときは、どんな顔をしていたのだろうか。妻の様子を思い浮かべると不憫に思えて仕方がなかった。

 妻に尋ねてみると「慣れた」とこともなげに返ってきた。もう男性検査員の前でも躊躇なくお尻をだせるとのことだった。

 図太くなったとうれしく思う反面、さみしさも感じた。子供の成長を、ふいに目の当たりにして抱くアンビバレントな感情のようなものだろうか。子供もいないので、当てずっぽうの感情だが。

 退院したら、カメラを向けてみたい。撮影慣れした妻がどんな表情を見せてくれるのか楽しみである。ただ、じゃっかんの心配もある、勢いあまってお尻までだされたらどうしよう。素の表情だけ写っていたら、じゅうぶんなのに。野原しんのすけみたいになってしまっているのだろうか。もう夫婦そろってぷりぷり星人を披露するしかないだろうか。あせもだらけのケツをみせつけるのも心苦しいので、いまからお尻のピーリングに励もうか。

 取るに足らない考えが頭に浮かのは、寄る辺のなさに耐えかねてなのだろうか。八割の生存率と言われても、夜、布団に入って電気を消すと不安が襲ってくる。知らない天井と他人行儀なにおいのする布団で過ごす妻の不安はなおさらだろう。知らないうちに自分のあずかりしらぬ異物を腹の中に抱えさせられた妻。こんな無情なことがあるのだろうか。

 妻だけが私を見捨てないでそばにいてくれたのに。その妻がいなくなってしまうなんて考えられない。妻の意思でも私の意思でもないのに。変人な私から唯一逃げ遅れた、奇特な妻。努力家で頑固で意固地で照れ屋の妻。妻の素晴らしい内面がこの世から消えてなくなってしまうかもしれない。妻の過ごした時間や獲得した経験や記憶はどうなるのか。その時を悟った妻がどんな気持ちでそれを迎えるのか。答えがでない問いを続けてしまう。

 くしくも旅行を予定していた日が、入院日となった。渓流沿いの宿はキャンセルした。人間不在の間に、お世話を頼んでいた猫のペットシッターさんもキャンセルした。レンタカーの予約だけは残した。そのレンタカーに入院宿泊用の荷物を積んで、ドライブした。最初はふたりともはしゃいでいたが、気分がどんどんしぼんでいった。レンタカーはおろしたてでピカピカだったが、新車特有の化学物質的なニオイがまだ色濃く残っていて、二人とも病院に到着する頃には、頭が酷く痛み吐き気ももようしていた。専門病院は一切の面会を禁止していた。明日から自由に会えなくなる。その間は一人でがんと闘わなければいけない。それなのに言葉少なく別れた。次に会うのは手術当日だ。

 

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