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宮田選手の代表資格取り消しへの違和感を整理してみた 〜ペナルティの適用には作法がある〜

昨日(7月19日)、Twitterやネットニュースで色々情報を漁ってみて、今のところ私は「厳しすぎるんちゃう?」側の意見を持っています。
※ニュースで使われている ‘辞退’ ではなく ‘取り消し’ という表現を用いた意図については、目次の『 ‘辞退’ のミスリードに注意』をご覧ください。


ポイントの要約を先に

  • 普遍的な話として、社会におけるペナルティの適用にはお作法がある。透明性のあるプロセスによって合理性のある処分が下されるべき。

  • 「ルール違反だから悪い」だけでは道徳的価値観に過ぎず、合理性のある処分の根拠にはなり得ない。

  • 代表資格取り消しは最大級の重い処分であり、本人のみにとどまらず、チームや日本代表選手団全体、他国のオリンピック関係者、スポーツ界、日本社会などに幅広い影響を与える。‘雰囲気’ や世論のみで決めていいようなものではない。

  • 刑事罰然り、会社の懲戒処分然り、処分には軽〜重の段階がある。オリンピックに出場させるか/出場させないかの2択ではない
    (日本体操協会の倫理規程にも処分内容の種類が記載されています)

  • 宮田選手本人が辞退を申し出た、という話は記者会見で一度も出ていない(よ〜く聞いてください)。それに、辞退だったならそれ以上考えなくていい、は不適切。

  • 厳罰支持派・懐疑派など色々いるが、全体的に論点がずれている人が多いので、けっこう注意深く整理を進める必要がありそう。




まずは軽く情報の整理を

刑法犯罪とは次元が違う(法律の一般論的整理)

色々と前提や定義を勘違いしている人も(私含め)いるかもしれないので、先に整理しておきます。弁護士の橋下徹さんのツイート(彼の全てのツイートを支持しているわけではなくリンク先のツイートのことです)も、さすが本職だけあってけっこう分かりやすかったです。

「ルール違反」と漠然とした言葉で語っている方も多いですが、ルールや法律にも序列や重みづけがあります。
トップの憲法を除くと、法律には刑法・民法・商法を初めとしたたくさんの種類があります。分かりやすいものとしては、人を殴ったり物を盗んだりしたときにお世話になる「刑法」です。これは警察が出てくるやつです。

一方で、今回話題になっているのは20歳未満の飲酒・喫煙を禁止する法律ですが、背景を理解しておく必要があります。
私もちょろっと弁護士系のサイトを調べて認識確認しましたが、この法律では飲酒・喫煙をした本人は罰せられません。禁止はされているが、罰則はないのです。逆に20歳未満の者に飲酒・喫煙させたり販売したりした周りの大人は処罰されます。
つまり、20歳未満の若者の心身への悪影響を鑑みて飲酒・喫煙を抑止する、彼ら彼女らを保護する目的の法律です。

他人に暴力を振るった、物を盗んだなどの刑法犯の案件とは一線を画するという点は、最低限認識が必要です。


明らかになっている「事実」

1時間弱の記者会見を見ましたが、19日時点で明らかになっている情報は、かなり限定的なようです。

  • 6月末〜7月にかけて、飲酒と喫煙が1回ずつ

  • 飲酒はトレーニングセンターの居室内

  • 喫煙はプライベートでのこと

  • 具体的な日時や入手経路、他に人がいたかやシチュエーション、常習性などはヒアリングできておらず

内部通報〜聴取〜判断〜記者会見までのスピード感は、体操協会側も選択と集中で判断を急いだと言っている通り、素晴らしいと思います。
一方で、本人に確認ができたのは、現時点では「飲酒も喫煙もやったよね?」という程度の内容だと読み取れます。


規程への違反は何を意味するのか

飲酒と喫煙の行為があり、20歳未満のそれらを禁止する法律に触れているという点は分かりました。ただ、より直接的な処分の根拠は別にあります。
JOCの派遣規程および日本体操協会の行動規範です。会見を見る限り、JOCについては法令違反をするなよという内容に抵触、体操協会についてはチームに関わる(競技者として振る舞う範囲という意味かな?)場での飲酒・喫煙は年齢に関わらず一律禁じているようです。

ここで大切なのは、これらの規程がどのような目的で設置され、代表選手にとってどのような意味合いを持つものなのか、という点です。
まだ原典をあたるところまでできていないので、推測とはなってしまいますが(すみません後半の章でリンクを貼っています)、刑法のような治安維持や犯罪の取り締まりを明確に意図したルールとは性質が異なっていることは想像に難くありません。
つまり、本気でトラブルが起きることを想定し事細かに処罰を定めたような性質のものではないと考えられます。どちらかというと、「代表としての自覚を持ってみんなお行儀よくしてね」あるいは「スポーツマンとしての気品と精神性を大切にね」というニュアンスのものの可能性があるかと。

「規程に違反した」というのは事実です。ただ、その違反がどのようにペナルティと紐づくのか、あるいは紐づけるのが合理的で適切か。
この ‘違反行為’ と ‘処分決定’ の間のプロセスがごっそり抜け落ちている人が多いので、ちゃんと丁寧に紐解いていく必要があります。


‘辞退’ のミスリードに注意

強く話題になったこういうケースでやりがちなのが、一次情報や原典をチェックせず、伝聞のみであーだこーだ言ってしまうことです(自戒も込めて)。
※プロの記者でもない一般人が詳細をすべて情報収集するのは至難の業ですが、少なくとも基本情報だけは伝聞ではない状況にした方がいいです。
※例えば、流れてきたツイートを軽く読んだだけで判断せず、複数のニュース記事や記者会見・公表文書等を参照するということです。

今回注意したいのが、「辞退」という言葉。一般的には、対象となる本人自らが進んで決断する状況を指すことが多く、本件でもパッと聞くだけでは宮田選手本人の意思が強くはたらいたように聞こえます。
ところが、ニュース記事を読んでも記者会見を見ても、宮田選手自らが辞退を申し出ましたという旨は実は一言も発されていません。

どちらかというと、体操協会が主語となって「辞退した」ことが語られており、そこに至るプロセスで本人との話し合いもありました、という捉え方がより正確なようです。
この場面において ‘辞退’ という言葉を選んだことについては、(協会としての正式な処分が決定していないこと・選手のみならず協会にも責任があるとのスタンスを示していることなどから)日本人らしい言葉選びというか、おそらく意図的なミスリードではなく結果的にミスリードになってしまった事故的側面が強いと、個人的には見ています。

ただ、やはり言葉の印象というのは大きくて、宮田選手自身が辞退したのだからギャーギャー言っても仕方ないよねという意見が出たりして色々話がずれていくので、この点の解像度は注意深く上げておいた方がいいと思います。
それに、たとえ選手本人が辞退の意思を示したとしても、その判断には多分に協会関係者や世間の声などが影響していると考えるのが普通で、「本人の意思だから」で終わらせるのはあまりにも彼女を取り巻く状況を理解できていないと言えるでしょう。
記者会見の場において本人の意思であるという明確な言及がなかったことを鑑みると、今回の辞退の決定は実質的には『取り消し』的側面が強いと想像され、私はタイトルにそう冠しました。


個人的意見や考察に入る

さて、軽く整理した内容も踏まえながら、個人的な見立てを述べていきます。

私は今回の処分に関して懐疑派(≒ 反対派)の立場だと前述しましたが、一切の処分が不要だと言いたいわけではありません。何らかの処分が必要だという見解に異論はないのです。
問題はその妥当性です。江川さんの整理がけっこうしっくりきたのですが、社会において発生したルール違反(法律違反)に対するペナルティには、合理的かつ抑制的なアプローチが必要です。


国民総出で開かれる道徳裁判

本件に限ったことではありませんが、日本社会の道徳観や人間性、「他人に迷惑を掛けない良識のある人間」に対するこだわり・執着は異常です。行き過ぎています。
何の専門的勉強も資格取得もしたわけでもない群衆が一方的に “道徳的な” ジャッジを下し、超法規的な懲罰を与え、人生を狂わせたり時に人を死に至らしめるからです。

  • ルールに沿って競うスポーツ選手が代表としてのルールを守らないとか有り得ない

  • 喫煙や飲酒をしても日本代表になれるんだという誤ったメッセージを子どもたちに与える

  • こんな不良行為を許したら真面目にやってる他の選手がかわいそう

  • これくらいのルールを守れないなら他の部分もどうせダメ人間に決まってる

こういう見方があることは理解しますし、ダメだとは思いません。けれど同時に、こんな抽象的/観念的な理由のみをもって、代表の立場を取り消すという極めて重大な措置が行われてよいとも思いません。


道徳とペナルティ

さきほど例示したように、ネット上などで頻繁に見られる主張は、教育論・道徳論・人間論が大半を占めます。
何度も言いますが、そういう捉え方があること自体は問題だと思いませんし、あって当然でしょう。ただ、どのようなペナルティが妥当かを検討する際に、それらの見解のみを用いるのは間違っています。

たとえば、「君は人間的にクズだから懲戒免職だ」と会社をクビになったらどうでしょう。「は?人間的にクズだから、てなんやねん」となりますよね。多くの人が不当だと感じると思います。
なぜなら、社会や組織で何かしらのペナルティが課される際は、以下のようなことが大切だからです。

  1. ペナルティが課される条件/ペナルティの内容/判断のプロセスが(できる限り)事前に公表されていること

  2. 条件判断のために十分な事実関係の整理が行われること

  3. どのような根拠と検討プロセスに基づいて決定されたかが通知もしくは公表され、検証可能であること

  4. 不服申し立ての機会や手段が提供されること

本ケースに当てはめて【× < △ < ○】の3段階で評価するとなると、
1→ △~○ 2→ △ 3→ ×~△ 4→ × のようなイメージになるでしょうか。
やはり、十分な対応が行われているとは言い難いと思います。
※ 1を△~○としたのは、元々ペナルティを主目的としていない規程の場合、ペナルティ周りの詳細な決まりがないことも一定程度理解できる、と感じたからです。


法的責任は軽微、問題は社会的責任か

「日本代表としての責任がある」とよく語られますが、責任とは具体的に何を指すのでしょうか。もちろん概念的なものや感覚的なものもあるので、すべての言語化は難しいかもしれませんが、代表資格の取り消しという重大な判断が下されるような場面では、必ず相応の説明が必要です。(本来は処分の重い軽いに関わらず、ペナルティを課す場面では等しく必要)
私たちが普段何気なく使う『責任』という言葉には、たくさんの側面があります。法的責任、社会的責任、道義的責任など。
できる限り、分類し具体化し根拠を明らかにしていくことが求められます。

まず、法的責任。私は法律の専門知識を持っていないので、あくまでも素人の見解とはなりますが、法的側面だけを見るならば責任は軽微だと考えます。
前半で整理したように、20歳未満の喫煙・飲酒は本人の心身への影響を鑑み、禁止されています。法に触れているという意味では法的責任はゼロではないものの、大きくはないとも言えます。
なぜなら、20歳未満の喫煙・飲酒行為そのものに、法的悪質性や ‘罪’ としての性質はないと言えるからです。もし法的悪質性があるのであれば、人を殴ったときの暴行罪と同じく、罰則とセットで禁じられるはずですし、法律の建て付けももっと違ったものになっているはずです。

次に、社会的責任です。本ケースで大きく問われるのは、やはりここだと思います。
世論を見ていても、法的責任についてはある程度決着がついており、それよりは社会的責任・道義的責任を問う声が多数だと認識しています。問題になっている行動規範についても、社会的責任や競技者としての責任、道義的責任をメインとして定められたものであることが、【趣旨】や【基本方針】の部分から読み取れます。
体系立ててある程度揺らぎが大きくならないように造られている法律と違い、社会的責任は非常に曖昧です。ただやはり、大きな処分にあたっては具体化と言語化が必須になるでしょう。

もう1つ一応取り挙げておくと、道義的責任ですかね。正直現段階の世論では、この領域を突く声が異常に多く暴走しています。
スポーツ選手、特に日本代表には、品行方正さや清らかさ/人格者であることが求められがちで、私も一定程度は理解しますが、ハッキリ言って世論の要求水準は厳し過ぎます。1mmでも過ちを犯したら退場させられる、という状況は、いったい何を目指しているのでしょうか。
道徳は不要とは思いませんが、道徳だけで人を裁くのは間違ったアプローチです。道義的責任のみに固執している人には、どうかもう少し多角的にバランスよく考えていただきたい。


日本代表の選考基準/JOCオリンピック精神

厳重注意などではなく、実質的な代表資格の取り消しとしたことに合理性はあるのか。「オリンピックにおける日本代表選手」という立場がどのような意味を帯びるのか、理解を深めるために関係資料を当たってみました。

まずは、体操競技の日本代表選手を選考する方法。

PDF資料には色々書いてありますが、ザッとまとめると「競技大会において優秀な成績を収めた者」という感じです。無論、各競技大会や所属団体において各種規約および出場条件を定めていることが想定されるので、一定程度の品行方正さは必要なのかもしれませんが。

次に、JOC(日本オリンピック委員会)が公開している資料「JOCの進めるオリンピック・ムーブメント」を紐解いて、オリンピックとは?オリンピックに出場するとは?という広い観点を探っていきます。
※30ページくらいあるので、関係の深そうな部分(1〜9ページ目)から抜粋します。

国際オリンピック委員会(IOC)は「オリンピック憲章」の中でオリンピック精神とはどのようなものか、また国内オリンピック委員会(NOC)の使命とは何かを定めている。

● オリンピック精神は、人間の体と頭と心の資質をバランスよく高めることを目指す哲学である。オリンピック精神が求めるのは、人間としてのより良い生き方であり、それは努力の内に見いだされる喜びと教育的な価値、そして社会的責任と他者への敬意に基づいている。

● オリンピック精神の目的は、人類の調和の取れた発展にスポーツを役立てることにある。また人間の尊厳を保つことを大切にし、平和な社会を築き推進することにある。

● オリンピック・ムーブメントは恒久的で普遍的な運動である。この運動は5大陸にまたがり、世界の競技者がスポーツの祭典であるオリンピック競技大会に集うとき、そのハイライトを迎える。シンボルは互いに交わる5つの輪である。

スポーツをすることは人権の一つである。すべての個人は友情、連帯、そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解を何よりも尊重するオリンピック精神にのっとり、いかなる差別も受けることなく、スポーツをする機会が与えられなければならない。

● スポーツが社会に溶け込む中、スポーツ団体はオリンピック・ムーブメントを進めるうえで、自身の権利と義務に敏感でなければならない。その権利と義務には競技規則を設けること、また組織の構成と運営にあたっては、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施することなどが含まれる。

● 人種、宗教、政治、性、その他の理由による国または個人に対する差別はいかなる形態であれ、オリンピック・ムーブメントとは相容れない。

p.4「オリンピック精神」から引用
(太字加工は引用者によるもの)

 日本を代表してオリンピック競技大会に参加する選手はその栄誉を自覚し、競技での活躍だけでなく社会生活のうえでも国民の期待にかなう行動が求められる。なぜならば、オリンピック代表選手は肉体と意志と精神のそれぞれの質をバランスよく高めた理想的なアスリートとして受け止められ、オリンピック精神を発揮する良い見本であると理解されているからである。

 オリンピック競技大会に出場した選手(オリンピアン)は大会出場で役割を終えるのではなく、その経験を生かし、オリンピック・ムーブメントに貢献し続けることが期待される。

p.9「オリンピアンに求められる役割」から引用
(太字加工は引用者によるもの)

かなり長い引用となりましたが、重要な内容のため載せました。
JOCの唱えていることがすべて正しいかどうかは知りませんが、少なくとも現代において、オリンピックやそこで目指されているものについてどう解釈すればよいかの助けにはなると感じます。

特に関係が深そうな部分は太字加工をしましたが、やはり競技だけできていればいいというわけではなく、人間としてのあり方の向上や手本としても期待されています。ですので、さきほど言及した通り、何らかの処分が必要であるということは、上記引用箇所からも自明であると言えるでしょう。
他方で、スポーツをすることが人権であることや人間の尊厳が大切である点にも触れられており、むやみやたらと過剰な懲罰を与えることもまた、このオリンピックの精神にはそぐわないのではないかと私は感じました。


体操協会の行動規範/倫理規程など

続いて、何かしらの違反等があった際に実際どのような処分があり得るのか?を知るために、体操協会のサイトから関連しそうな3つの規程を参照します。

まずは、記者会見でも言及のあった「日本代表選手・役員の行動規範」

【違反選手・役員に対する処分】
日本代表選手・役員が、前記の行動規範に違反した場合は、本会「倫理規程」の適用があるものとし、「倫理規程」予定の手続きによって処分を科する

規範より一部抜粋

行動規範の中で言及のあった「倫理規程」

(違反行為の処分)
第 5 条 前条の違反行為に対する処分は、次の各号のとおりとする。
(1) 永久追放
(2) 登録抹消
(3) 資格停止
(4) 戒告
(5) その他、必要に応じた処分

(処分の決定)
第 6 条 第 3 条の違反行為に対する処分は、懲戒委員会で検討し、理事会によって決議する。
2 懲戒委員会は、理事会の指名する懲戒委員長、および懲戒委員長が指名する若干名で構成する。
3 懲戒委員会のメンバーは、中立性、専門性を有する者を入れて構成される。

(処分の通告)
第 7 条 第 6 条により違反行為に対する処分が理事会により決定した際、速やかに当事者本人ならびに当事者の所属団体に文書にて通告する。その際、一般財団法人日本スポーツ仲裁機構(以下、「スポーツ仲裁機構」という)への不服申し立てができることを通知するものとする。

規程より一部抜粋

最後は参考程度に「コンプライアンス規程」を。

(懲戒処分等)
第 14 条 本会は、委員会の審議に基づき、第5条に違反した役職員および登録競技者を懲戒に関する規程に照らし懲戒処分に付するとともに、本会に損害を与えた役職員および登録競技者に対して損害の賠償を求めることができる。

規程より一部抜粋

本ケースにおいては、主に倫理規程の「(1) 永久追放(2) 登録抹消(3) 資格停止(4) 戒告(5) その他、必要に応じた処分」など、処分に関する条項が重要な情報になろうかと思います。
しかしながら、先日の記者会見からは今回の ‘辞退’ の判断が何らかの具体的な規程に基づき行われたのか、誰と誰の判断で決まったのか等は伝わってこず、非常に曖昧です。大会開始直前の出来事でスピーディーな対応が必要であったとはいえ、圧倒的な不透明感が印象に残ります。

行動規範に違反したとはいえ、彼女は代表選手として一度選ばれています。そして4年に一度のオリンピックに出場できるかどうかは、選手にとって大げさではなく人生を決定的に変えてしまうインパクトがあります、良い方向にも悪い方向にも。
競技団体に様々な処分を下す権限があるのと同時に、代表選手たちにも合理的でやむを得ない理由がない限り代表資格を剥奪されない権利があるはずです。
(善悪のフラグを立てた瞬間に思考停止するような方々には理解できないかもしれませんが)

だからこそ、彼女の喫煙と飲酒(それぞれ1回ずつ)の行為により、どんな観点でどれくらいの重みの責任が生じていて、なぜ代表資格の取り消し(辞退)が適当なのか、体操協会は具体的に説明する責任があると考えます。それをこのまま「ルール違反」と「辞退」というワードでぼわぼわっとごまかし続けてしまったら、必ず悪しき前例となります。
代表選手たちが今後、競技団体や暴走する世論の強力な生殺与奪権に怯えながら過ごさざるを得なくなるからです。

一般社会で言うと、殺人犯の責任と万引き犯の責任と自転車の無灯火運転者の責任を、同列に扱うことは適切ではないですよね。なぜなら、同じルール違反でもその質や重みが異なるから。
宮田選手の件でも同じです。法的責任やオリンピック日本代表としての社会的責任に照らし、どれくらいの重みのある出来事なのかを客観的に捉える必要があります。道徳感情が暴走して冷静な分析ができない人たちがそれなりの数いるようで、残念でなりません。


スポーツ × 教育(懲罰文化)の呪縛

最後に、この出来事を通して感じた、日本社会のスポーツと教育と懲罰の関連性について、書きたいと思います。

今回、前述したような教育論・道徳論・人間論が飛び交っているのは、やはり日本の部活動制度と無関係ではないだろうと感じます。
私の記憶が正しければ、日本のように学校教育の中にスポーツがデフォルトで組み込まれている(部活動のこと)国は世界でも数えるくらいしかなく、グローバルでは特殊な環境です。多くの子どもたちがスポーツとの接点の多くを部活動で経験し、大人になっていきます。
スポーツは肉体だけでなく精神的成長にも大きく寄与し重要であるという認識は世界共通だとは思いますが、日本ではことさらにスポーツは教育的でなければいけないという観念が強い可能性があります。

加えて、改めて日本の教育の世界を見渡すと、もう1つの共通点が見えてきます。
それが、過ちを犯した子に罰を与えることが教育でありその子の成長に繋がる、と固く信じる文化です。罰によって子どもを矯正することができると考えられ、様々な指導や育児や教育現場の基本形になっているのです。
近年はかなり情勢が変わりつつありますが、教育現場における暴力(体罰)や人権侵害(服装指導と称して個人のパーソナルな部分に立ち入る)、私生活への過干渉、不当な懲罰行為(妊娠した生徒を退学させるなど)がいまだに堂々と行われている例も聞き及びます。
子どもだから何も咎められなくていい、と言いたいわけではありません。そうではなく、大人から一方的に懲罰を与えることが子どもたちにどのようなダメージを与え、また暴力や人権侵害と隣り合わせであるか、本人の成長や周囲の好循環に本当に繋がるのかどうかを、私たちはもっと真剣に考え直す必要があると感じるのです。


話を戻すと、本ケースに関連して少し目にしたのが、高校野球における球児の飲酒・喫煙への対処です。私もこれまであまり深く考えてこなかった部分があるかもしれないと思うものの、高校野球の話にまで話を広げ始めると収集がつかなくなるので、いったんその問題には触れません。
ただ、高校球児たちへの対処との整合性という観点で語るとすれば、1つ違いとして挙げられるのが、オリンピック選手は学校(教育機関)の代表として出場しているわけではないという点です。高校野球のような教育機関が直接的に関わっている場であれば、教育的観点での処分が厳しくなることも多少は頷けます。
一方で、オリンピックの代表選手は1人の競技人として、チームに加わり競技に参加します。そういった立場や文脈の違いを一切無視して高校野球と同じじゃないとおかしいだろうなどと喚くのは、あまり理性的ではないなと思ってしまいます。

代表資格の取り消し(辞退)という判断は、とても重い処分です。一発退場、一発アウトだからです。
※辞退という言葉が出回っていますが実質的には取り消し処分だと私は認識しています。
喫煙・飲酒で法や行動規範を犯したのだから当然だという声もありますが、前述したように、それは違反行為の質や重みづけの重要性が理解できていません。私はあの処分の妥当性には非常に懐疑的ですし、どちらかというと、一発アウトではなくむしろ再起のチャンスを残して対話し成長を促す対応の方がより教育的で、それを見た子どもたちの思考と行動変容と成長に繋がるのではないか、とすら思います。

スポーツと教育、教育と懲罰の間の根深い鎖が、この一件で炙り出されたように感じました。
教育・研究分野への公的支出にケチケチしている社会が、こういうときだけこぞって「教育的」価値観を振りかざすのは、なんというかディストピアですね・・。


内部通報のタイミング

あまり内部のことを邪推しても良くないと思い最初は書いていませんでしたが、やはり触れておくことにします。
内部通報がなぜこのタイミングで起こったか、という点です。

私には、内部通報者を責める意図はありません。どんなタイミングであろうと、宮田選手が飲酒・喫煙をしていたことは事実だし、内部通報は認められている手続きだからです。
ただ、大会直前のこのタイミングで発生したことを考えると、内部で何かしらの軋轢が生じていた可能性をどうしても勘繰ってしまいます。仮に私が宮田選手のチームメイトやサポートスタッフだとし、彼女との関係性が特段悪いわけでなければ、直前のこのタイミングで何かを知ったとしてもおそらく通報しないだろうと想像できるからです。
(ここでは善悪の話ではなく、発生可能性という観点に限定していることをご理解ください)

だから、関係者からの通報だったとすれば、相当な強い動機となる出来事があったことを想起させ、代表チーム関係者のケアが非常に心配です。
また、本当は別の理由があってカモフラージュするための演出ではないか、という本音と建前的言説が湧き上がるのも、多少は共感できてしまいます。


そして、もう一点。Yahoo!ニュースについていた溝口さんのコメントにハッとさせられたので、スクリーンショットを載せておきます。
※ Yahoo!ニュースは何週間か経つとリンク切れになるので、コメントもいつまで見られるか不明なため。
内部通報と選手の処分の運用に関しては、今後検証と改善が必要かもしれません。

Yahoo!ニュースのコメントの抜粋


その他の情報

ニコチンとドーピングの関係性

私はまったく思い至らなかったのですが、喫煙とドーピング検査との関連性について言及されている方が一部いるのを見て、自分でも調べてみました。

まず、JOCのサイトからアンチ・ドーピングに関するページを見つけます。

内容に目を通すと、JOCは世界アンチ・ドーピング規程に署名しており、加えて国際基準・日本アンチ・ドーピング規程等にも基づいて行動していくとなっています。(世界アンチ・ドーピング機構があり、その国内下部組織? として日本アンチ・ドーピング機構が存在する構造)
また、具体的な禁止薬物は世界アンチ・ドーピング機構が公開する「禁止表」が重要な基準のようです。

禁止表を「ニコチン」で検索すると、15ページ目と35ページ目に言及があります。そして、どうやら禁止物質ではなく ‘監視プログラム’ の中に含まれているようです。
ドーピングで失格にはならないけど、今後の運用検討を目的とした統計情報を取るために情報収集はしますよ、という意味合いかと思われます。

*世界アンチ・ドーピング規程(第4条5項):“WADAは、署名当事者および各国政府との協議に基づき、禁止表に掲載されてはいないが、スポーツにおける濫用のパターンを把握するために監視することを望む物質について監視プログラムを策定するものとする。

2024禁止表国際基準のp.35から引用

総括すると、喫煙によるニコチン摂取で競技を失格となることはない。(というか、関係があるのなら体操協会の記者会見で言及するだろうし、為末さんのようなドーピングに詳しい元プロスポーツ選手が知らないはずがないので)
ただ、JOCなり競技団体なりの事前のドーピング検査でニコチンが検出されたのでは説は、自分の中になかった視点として少し興味深かったです。(とはいえ実際問題、検出→厳格に処分が実施されている可能性には懐疑的ですが)


'24/07/20 投稿
'24/07/22 更新(冒頭の要約章および本文の追記・修正)
'24/07/23 最終更新(部分修正)

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