羨ましいなぁと思う相手こそ、人には言えない悩みを持っている。当たり前なんだけど気が付きにくい話。
タイトルにある通り、今日は少し重ための話をしようと思う。
人は誰でも生きていれば、一度くらいは「この人になりたい!」「もし自分がこの人だったら、どれだけラクに生きれるだろうか」と思った経験があるはずだ。
その憧れや羨ましさは、お金持ちだからかもしれないし、仕事の能力が高いからかもしれないし、めちゃめちゃ美形の顔だからかもしれない。
どんな理由があるにせよ、人間は自分よりも何かが優れていると感じる相手に対して、特別な感情を抱く。
特に現代においては、インスタやXやYouTubeを見ていれば、勝手に憧れを抱くようにできている。誰もが自分のリア充っぷりを投稿しているし、ステータスの高さをひけらかしているからだ。
僕も誰かに憧れた回数なんて数え切れないくらいある。「この人の文章うまいなぁ」「この人の頭脳分けてほしいな」と思う毎日を過ごしてきた。
そんな羨ましい方々の内の一人が、こんな記事を投稿していた。
彼は「堀元見」氏だ。YouTubeチャンネル登録者数32万超えの「ゆる言語学ラジオ」のプロデューサーや、作家として数々の文章を書いている。
堀元氏の文章は、内容はとても知性を感じさせるのに、どこかネット特有の砕けた表現によって、面白おかしく作り込まれている。また切り口が非常に独特で、一見どういうこと?と思う話が入っても、全体を通すとまとめられているのも見事と言うしかない。
そんなこんなで、2年くらい前から堀元氏の作品を楽しませてもらっていた。それと同時に、憧れも抱いていたと思う。一人のライターとしてだ。
そんな堀元氏だが、上記の記事の通り、離婚されたらしい。僕は結婚の報告もnoteで知っていたので、正直離婚の話にはびっくりした。
しかも手続きを行ったのは3ヶ月も前のことらしい。
僕はその間もずっとYouTubeやnoteを楽しんでいた。そして彼の文章や考え方を学んでいた。
僕は、憧れている人に対しては、一面的に見てしまうクセがある。堀元氏に対しては文章のうまさや、コンテンツの切り口の面白さだ。
そんな断片的な情報を見ているだけなのに、どこかで「この人は生活に満足できているんだろうな」と、浅い考えに至ってしまう。
つまり、憧れている人の悩みや不安が想像できないのだ。いや、見ないようにしていると言ってもいいかもしれない。
とある社長のFacebookを見て驚いた
他にも憧れの人に対して驚いた経験はある。
僕がたまたま出会えた、とある企業がある。そこの社長の話だ。
事業は安定しており、SNSに出てくる社長はいつも落ち着いていて博識だった。
だから僕はその社長の動画やSNSをたくさん見たし、たくさん学ばせてもらった。
そこで僕は「これだけうまくいっているなら、この人は生活もさぞ充実してるんだろうなぁ」と思い込んでいた。
ただ、たまたまFacebookの投稿を見て愕然とした。
その社長は、数年前に娘さんを亡くされていたのだった。
当然かもしれないが、普段のSNSやコンテンツの中には、そんな情報は一切載せられない。
だから僕が知らなくて当たり前なのだが、なにせ人の生き死にの話だから、どうしても深く考えてしまう。
人の良い面のみを見て羨ましがるのは、なんておこがましいことなのだろうか
一部分のみを見て、「いいなぁ」「この人なんでも持ってそうだなぁ」と思っていても、彼らは表に見せている以外の部分で必ず苦労している。
ましてや多くのフォロワーを抱えたり、会社の代表だったりすれば、一般的なサラリーマンよりも遥かに大きな悩みがあるだろう。
そんな当たり前のことに気づけなくなる自分が、嫌になる。
だから尊敬する人に対して、気安く「自分があの人だったらなぁ」なんて言ってはいかない。
そう思って毎日生きていきたいと思う。