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ロッキン・ソニック2025の思い出(後編1-2)

海浜幕張駅に着いたのはちょうど午後4時頃だった。前に、この、駅から幕張メッセまでの道のり(というか、歩道橋)を歩いたのは、たしか、2018年のSonic Maniaでmy bloody valentine(とnine inch nails)を観た時だから、実に、7年ぶりのことだった。

幕張メッセ

会場に着くと、Death Cab For Cutieの一個前の出番だったThe Lemon Twigsが、ちょうどセットリストの最後の曲を演奏している所だった。すごく爽やかな良い曲で、会場の外に漏れ聞こえてくる音だけでも、何かこう、普段味わえない、臨場感というものがある。それは、しょぼいイヤホンとか、パソコンに繋いだスピーカーとかから聞こえてくる音楽とは決定的に違う。俺は、震えるような感動を覚えていた。

ここの所、ライブを観に行くとしても、Thom Yorkeやら、Pavementの再結成ライブやら、なぜだか着席スタイルの会場が多くて、それはそれで、年老いた自分にとっては、足腰に優しいというか、助かるわぁ〜みたいな気持ちだったけど、スタンディングのアリーナで、ステージの出来るだけ近くへにじり寄りつつ、開演までの数十分、身の回りの人々のささやき声に耳をすます…という状況が久しぶりで、これはこれで、悪くないもんだな、と思った。

会場が暗転し、Death Cab For Cutieが姿をあらわす。思えば、デスキャブを観るのは実に3回目で、神経質そうなギタリストのChris Wallaさんが脱退してからは初めて観る。前回は2012年だったから、12年ぶりということになる。

12年の月日。生まれたばかりの子どもが、中学生になるくらいの、悠久たる時の流れを経て、Death Cab For Cutieの面々は、ひどく老けて、大学教授っぽい佇まいになっていた。前回観た時がアメリカのドラマに出てくる研修医っぽい感じだったとしたら、大学病院にいる呼吸器内科の助教授っぽい雰囲気があった。

2年前に出た、現在の所の最新作の、『Asphalt Meadows』の曲からライブは始まる。

若き頃、Death Cab For Cutieで言うと、それこそ、2001年の『The Photo Album』から、2008年の『Narrow Stairs』までの頃、新作が出るたびに、大事に聴いていて、2011年の『Code And Keys』あたりから顕著に聴かなくなって、2022年の『Asphalt Meadows』も、ほぉ、デスキャブの新作か、ということで、2-3回聴いて、ふぅん、という感じでまともに味わってはなかった。

正直、『Asphalt Meadows』の存在自体忘れかけていたので、1曲目である「I Don't Know How I Survive」も、なんか、どっかで聴いたような曲だな…ということで、そんなに、気持ち的に乗りきれなかったけれど、アルバムの曲順通りに演奏された、2曲目の「Roman Candles」で、ほのかに記憶が蘇る。

「It's been a battle just to wake and greet the day
   then they all disappear like sugar in my coffee
  ここの所、 朝起きて、日の目を見るのも大変だ
  コーヒーの中の砂糖のように消え去ってしまう
 A hint of sweetness but the bitterness remains
 the acidity devouring my body
  かすかな甘味、しかし、苦みだけが残る
  その酸味が、僕を蝕んでいく
 But I am learning to let go
 of everything I tried to hold
 too long 'cause they all explode
 Like Roman Candles
 ただ、僕は、全てを手放そうとしている
 ずっと大事にしてきたものを
 でないと、いずれみな爆発してしまうから
 打ち上げ花火のように」

そして、

「I used to feel everything like a flame
   now it's a struggle just to feel anything
 かつで僕は、全てを炎のように(アツく、ということ?)感じていたけれど
 今や、「何かを感じる」ということが一苦労だ」

そのフレーズが歌われた時、気がつけば、生暖かい涙が頬を伝っていた。

若い頃のデスキャブ

デスキャブといえば、個人的には、気弱そうな若者というか、ひたすら歌詞が長くて、色々言ってんな、文学的で、曲の展開もややこしいんだな、という印象だったんだけれども、新作からの曲は、ちょっと筋肉質な仕上がりで、歌詞もわりと単純になっていて、見た目も、なんか、実力がありそうな壮年男性という感じになっている。

これが、年を取るということなんだ。

年を取るというのは、「何かを感じる」ために、struggleするということなんだ(その過程で、筋肉質になることなんだ)。

その後も、『Asphalt Meadows』からの選曲が続き、言うて、最新作からの曲が多いのは健康的というか、デスキャブは、懐メロバンドに堕してはないということなんだ…という事で、これはこれで…という気持ちになりはじめていたころ。聞き覚えのあるイントロが始まる。

気がつけば、しとどに涙が流れていた。

そう、名曲『The New Year』が始まったのだ。

(続く)


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