筆の話 「如水」について
先日明治時代に考えられた「直入翁」「芳文先生」などの筆を試した事で、いろいろに考える事があった。
あれ等の筆は、あまりにも形がとりやすいことで、逆に絵の可能性を限定してしまうのだ。決まった形式を大量に描くするには至って便利だが、そのことで表現の幅を制限してしまう。
道具は延長された身体なので、使い難くとも、より性能の出せるものが求められることもある。
水茎堂に電話をしたついでに、私が愛用する「如水」と「芳文先生」の構造上の違いを尋ねてみた。
ともに羊毛の運筆筆なのだが、形の上では「如水」のほうが細身で、「芳文先生」の方が形がとりやすいのは、さらに狸毛が入っているからだと教えられた。
「如水」は金翠堂のカタログには「鳳池」と記されていて「栖鳳先生ご愛用」とあるそうだ。いつごろから「如水」というようになったかは分からないとの事。
気になって調べてみると、「如水」は一般に純羊毛の付け立て筆という定義になっているようだが、神田得応軒製のものに馬毛が入っているとあった。老舗で古いカタログも残っているので、あるいはそういう造りの系統なのか、羊毛の質が弱くなった為に足しているのかは分からない。時代の好みで変化させたという事も、考えられないことではない。