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■No.14 「学級通信」は出さなくても良い?!
久しぶりの投稿になりました。
#ちょこっとスキル 著者の古舘です。
先日、岩手県でもコロナウイルス感染確認がされました。
まあ、やることは変わりません。県や市、自治体や管理職の判断に従いながら進みます。
さて、休校が続いたり、分散登校や午前登校の中で「学級通信」を書いている人が多いようです。
心温まる素敵な事実に、「やっぱり先生っていいなあ」と思います。
そんな中、今日のテーマは、
です!!
1. 「学級通信」を出さないと気まずくなる
何度聞いたことでしょう。「すみません」という気まずそうなフレーズ。笑
4月に「学級通信」の話をチラッと話題に出すと、「出すんですか?!」という驚きと、「やば!どうしよう…」みたいな気まずい空気が流れるときがあります。
こちらこそ、「出して、すみません…」になってしまいます。
これまで、結果的に11作の学級通信を書いてきました。途中、保護者からの要望で書き始めた年があったり、通信自体を出さない年もありました。
毎日も、週1も、月1もありました。わかったことは、
ということです。
これだけ書いてきて何を言う!と思う方もいるかもしれませんが、本当のことです。気まずくなる必要もなくなります。笑
2.「学級通信」で「学級経営」はできるか?
結論から言えば、「できる」と思います。だから、学級通信を書いている人も多いのではないでしょうか。
ただし、「万能薬」ではありません。ココを念頭に置かなければなりません。
闇雲に発行することが「よし」ではないからです。
「誤字脱字が多い」「文章が分かりにくい」「プライバシーなどの配慮に欠けている」ような通信では、子どもたちや保護者からの信頼は得られなくなっていくでしょう。
もちろん、そうした指導をきちんとできる管理職に恵まれることも、一つのポイントになると感じます。
要点を抑えた内容で、かつ分かりやすく、書き手としての力量がある程度備わった通信であれば「学級経営」として可能だと考えます。
では、全ての教員(担任)が学級通信を書くでしょうか?答えは、NOです。なぜなら、
からです。むしろ、学級経営がうまいから、書く必要性を感じないのかもしれません。(古舘は下手くそゆえ、書かなければならないことは確かなのだが…)
3.「学級通信」に振り回されない
経験上、学級通信を書く人の目的が「ぼやっと」しているケースが多いように感じています。
「本気で考えていない」と言えばいいすぎになりますが、安易に「保護者のため」などと言って良いのだろうか?と感じるときはあります。
結果的に「保護者のためになった」なら分かりますが、それは目標であって目的ではない気がします。
学級通信は、基本的に一年間出すことになります。僕はいつも書き始めるときにゲロが出そうになります。「本当に書くのか?」「やるんだな!?」と自問自答するほどです。
それほど、学級通信の重さや責務を感じながら書いています。
だから今言えることの一つに
があります。
「書かない」選択をした年、本当に困りませんでした。笑
それまで、何でそんなにこだわっていたのだろう?と思うほど、困りませんでした。
そして、何かから解き放たれ、時間の余裕もできました。今考えると、僕は「学級通信」に縛られていたのだと思います。
4.じゃあ「学級通信」は出さなくて良い?!のか
周りくどく話してすみません。
結論から言えば、
だと思っています。
学年の絡みや、学校の判断で「出せない」年があるはずです。
そんなとき、「学級通信」に依存している人は困るでしょう。「なんで?」と怒る人もいるかもしれません。
僕は困りません。学級通信が出せなくても、何か違う方法で学級経営をしたり、保護者の方とつながりを生もうと努力します。
つまり、出せば出すに越したことはないが、出さないなら出さないでなんとかできる力量が必要なのです。
きっと、あなたの学校の素晴らしい先生方は、「書こうと思えば書ける」はずです。「書かない」だけで「書ける」力を持っている人は多いのです。
だから、学年主任がダメと言ったら出さないし、保護者から依頼があれば書くこともできます。(それはそれでどうなの…ですよね。汗)
「学級通信」はあくまで「ツール」であり「機能」です。「出すこと」に本質はないと考えています。
5.古舘的、「学級通信」の目的は?
今では、「保護者のため」「子どものため」にと考えることもできます。
学習会の仲間や、SNS上でもニーズがある感覚です。
でもやっぱり、これです↓↓↓
2年目の時に感じたことは、そのまま僕のマインドとして残っています。
今の時代、特にインプット が多いんですよね。
本やSNS、オンラインで繋がることが簡単になり、翌日配送でスピード感もある。
でも、圧倒的にアウトプットが足りない。「働き方」なのか。何なのか。「書けない」感じを受けます。「言葉づかい」なども。
(おじさんの勘違い??汗)
そういう意味でも、
だと思うんですよね。
保護者のために、ではなく、まず自分のために書く。
子どもたちを見取る目を養う。
相手意識を持った文章を書く。
フォントやレイアウトなどを学び、センスを磨く。
これらは、自身の力量形成のようで、最後は「利他」として機能します。
つまり、「書けるようになる」こと自体があなたの「学級経営」につながるのです。
「出すこと」が目的の学級通信も否定はしません。しかし私の場合、目的は「教師力の向上」だと考えています。
多くの人が学級通信を書かれていると思います。古舘なんかよりもたくさん発行し、広い視野で考えている人もいらっしゃると思います。「あいつ勝手に喋ってんな〜」くらいで読んでいただけると幸いです。
そんな私は、今年度は週1で学級通信を出しています。うまく書けないことも多く、「毎週修行」だなと思いながら書いています。
著書もよろしくお願いします♫
『授業の腕をあげる ちょこっとスキル』
『学級づくりに自信がもてる ちょこっとスキル』