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ぞうさん。

ども、春休みに、短期でコールセンターでバイトをしていたどもてぃ。です。お引越しの手続きは、ガスも電気も東京ガスへ。

(追記:これは去年の話です。この春休みはまた別のバイトの予定。)


ぜんぜん脈絡ありませんが、『ぞうさん』という童謡、知ってますよね?

ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね
そうよ、母さんも長いのよ

…うん。だろうね。君はぞうさんだし、母さんもぞうさんだろうし。そら鼻も長いだろうよ。

昔から疑問だったんです。

だから何?

この歌は何を歌っているのか。

今までは、遺伝子のなせる業だとか、カエルの子はカエルだとか、そういう話なんだと思ってました。
でも、どうやらそうではないらしく。

僕たちが普段歌うのは1番なのですが、実はこの歌、2番もあるの知ってましたか?

ぞうさん ぞうさん だれが すきなの
あのね かあさんが すきなのよ

1番ではぞうさんのお鼻について説明していると思いきや。2番ではお母さんへの愛を謳っています。


んー、いよいよわからなくなってきました。
日本が誇る名曲、『ぞうさん』。一体何の歌なんでしょう。
このままでは、アフリカは、ンゴロンゴロ自然保護区のレンジャーたちに顔向けできません。



というわけで今日は、この詩の意味についてのお話です。

…なに、前置きが長いって?
いやぁ、ぞうさんのお鼻ほどじゃないですよ。


さて、話を戻します。
この『ぞうさん』という童謡、作曲は團伊玖磨、作詞はまど・みちおです。
どちらも日本の童謡界を代表する作詞、作曲家ですね。
(余談ですが、僕の小学校の校歌を作曲したのも團伊玖磨だそうです。すごいだろ。)

まど・みちおは、この詩について、次のように語っています。

「この地球上の動物はみんな鼻は長くないのです。そういう状況の中で『おまえは鼻が長いね』と言われたとしたら、それは『お前は不具だね』と言われたように受け取るのが普通だと思います。しかるにこのゾウは、いかにも嬉しそうに『そうよ、母さんも長いのよ』と答えます。長いねと言ってくれたのが嬉しくてたまらないかのように、褒められたかのように、自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、誇らしげに答えます。」

(金子 2002, p5)

なるほど。ぞうさんの発言にはこういう意図があったんですね。

つまり歌に出てくる象は、自分の身体的特徴をコンプレックスどころか、象としての、いやむしろ母から受け継いだ親子の証として誇りに思っているのです。

さらにまど・みちおは続けます。

「このゾウがこのように答えることができたのはなぜかといえば、それはこの象がかねがねゾウとして生かされていることを素晴らしいことだと思い幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。(中略)ゾウに限りません。けものでも虫でも魚でも鳥でも、いいえ草でも木でも数かぎりない生き物がみんな夫々の個性を持たされて生かされていることは、何物にもかえられない素晴らしいことです。もちろんその中の一員として、人間が人間として生かされているのは本当に素晴らしいことです。」

(前掲)

インタビューを収録した文章のようで、やや読みにくいですが……。

つまり、各々がそれぞれの個性を持ち、それを保って生きていられるということは素晴らしいことだとおっしゃっています。

詩の中のぞうさんはそれを象徴しているのだと。


なんとなんと、我々が小さなころから親しんできた『ぞうさん』には、ぞうさんの愛まど・みちおの哲学が詰まっていたのです。

最近、多様性だとか、ダイバーシティだとか、はたまたインクルージョンだとか、言うようになりましたね。コンセプトそれ自体は素晴らしいものでしょう。世の中あちらとこちら、敵と味方の二元論で説明しきれるものばかりではありません。「それぞれ」という選択肢を認めざるを得ないご時世になってきました。

ところが、あろうことか多様性の名のもとに、特定の立場を過剰に認めてもらおうとし、そのために他者を攻撃する人もいます。そんな態度こそ、多様性とは対極にあるものです。

童謡『ぞうさん』にこそ、私たちが他者と向き合うとき、自分とは異質なものと直面した時にどのような態度をもって接すればいいのか、そのヒントがあるような気がします。

果たして、同性婚を認めると社会は変わってしまうでしょうか…?

なんか真面目な話になっちゃいましたが、今回はこんなところで。

出典
金子保(2002)「詩人まど・みちおの作品から学ぶ保育のこころ」『淑徳福祉研究』(10) pp.25-36

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