B'z論争とはなんだったのか?日本語ロック論争の文脈を踏まえて。

1/6追記:渋谷系の出した回答に「わかるやつだけわかればよい」を追記。

X上で2024年大晦日から2025年早々にかけて話題になったB'zがダサかったのか?という話は、投稿主も繰り返しているように90年代の日本特有の音楽のリスニング環境の文脈を踏まえる必要がある。そしてその文脈は東京オリンピックで小山田圭吾が大炎上したイジメインタビューと同じ文脈でもある。

佐々木敦は『ニッポンの音楽』の中で、90年代前半を渋谷系音楽の時代と位置付け、渋谷系とは外国で生まれた音楽を日本でやるためにどうすればいいのか?というはっぴいえんど〜YMO以来、日本で音楽をやるにあたって避けて通れない問いに対して向き合った最後の世代だと言っている。
「つまり渋谷系は、七〇年代にはっぴいえんどとともに始まったプロセスの終焉であったと位置付けることができます。それは、外国で生まれ、外国語で歌われている音楽を、日本で、日本人の音楽家として、カヴァーとかコピーとか、単なる物真似ではない形で、どうしたらやれるのか、すなわち海外の音楽をニッポンの音楽に、どうやったら翻訳=移植できるのか、という困難な問いに向き合ってきた歴史、その終わりを意味しています。この意味で、渋谷系とは、はっぴいえんどの二十年後の姿だったと筆者は考えています」

そして、この「海外の音楽をどのように翻訳するのか?」という問いに対する渋谷系の回答は、「隠さない」こと、かつ「わかるやつにさえわかればよい」という態度であった。

それは曲を作るにあたって好きなアーティストの影響を隠さずあからさまに反映させる(フリッパーズギター、ピチカートファイヴ)というやり方や、そして曲だけでなくそれは彼らの生き方そのものでもあった。

小山田圭吾のイジメ告白が行われたインタビュー(1994年1月)、また同時期にロッキンオンジャパンで行われた小沢健二の2万字インタビュー(1994年4月)に共通するのは、本来であれば隠したり謙遜して他人には話さないようなイジメ行為や(小山田)、自身が頭が良くモテモテだった(小沢)ことを大っぴらに語ることこそが格好よかったと考えた、ということだ。

こうした態度には、わかるやつにはわかる、つまりわからないやつには一生わからないというシニシズムが含意されている。

フリッパーズギターはそもそも人はわかりあえない、というところから出発したユニットだった(わかりあえやしないということだけをわかりあうのさ『全ての言葉はさよなら』)

全てを隠さずあからさまにするが、それはわかるやつにしかわからない(わからないやつには一生わからない)という回答の是非はここでは置いておくとして、それは彼らが必死に考え抜き、そして生き方をも変えざるを得ないようなものだった。
はっぴいえんど〜YMOという先人が考えることをよぎなくされ、なんらかの解答を要請された「海外の音楽をどのように翻訳するのか?」という問いに対し、渋谷系は「隠さず、わかるやつにだけわかればよい」という回答を出した。
それは90年代に日本で誠実に音楽をやるからには決して避けて通れない問いであったから。

翻って、B'zはこの問いに対し回答を出したのだろうか?筆者は否と考える。
90年代に日本で音楽をやるにあたって避けて通れない問いにB'zは向き合っていなかった。問いを避けて通った。あるいは気づいていたかもしれないが気づかないふりをした。だからこそB'zはダサかったのだ。

現在のB'zがこの問いに対しその後向き合ったのかはわからない。もう向き合う必要もない問いなのかもしれない。ただ、かつてはこうした問いがアクチュアルであり、真摯に音楽に向き合っていれば必ずぶち当たるはずの問いであったということは記録に残しておきたい。

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