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人生を変えたスクラッチとの出会い(自己紹介2)

さて!早速note、2回目の投稿になります!
初めての投稿に♡やチップなど、沢山のリアクション、応援ありがとうございます!本当に励みになります!

今回は、前回の続きになるので、まだお読み頂いてない方は、是非先に1つ前の投稿をお読み頂けると嬉しいです!

まだまだ長文を書く事に慣れてないので、少し読みにくいかと思いますが、そこら辺は暖かい目で読んで頂けると!


2013年、当時21〜22歳の頃に、よく一緒に遊んでいた同い年の友達が、RedBullの主催するDJの大会に挑戦していて、福岡で開催されていた九州予選に出場してたので、応援に行きました。

人がパンパンに入った満員のクラブで、友達がお客さんを沸かして、優勝する姿を観た時に、おめでとう!って気持ちは勿論あったのですが、超カッコよくて、すげーキラキラして見えて、俺もおめでとう言う側じゃなくて、言われる側がいいなーって、正直羨ましい気持ちのほうが強かったのを覚えてます。

その後、見様見真似で自分もスクラッチを練習してみたりしたのですが、大した知識もなく、DJのプレイ中にしっかり使うまではいかず、友達と家でスクラッチして遊ぶ程度でやってるくらいで、生活的にも普通に昼間の電気工事の仕事をしていたので、DJの活動は趣味の範囲で、たまに週末のクラブでプレイしているような状況でした。

そして前回記事で書いていたように、クラブでのお酒の強要などが嫌な時期があり、ブッキング(DJの依頼)なども断るようになっていったり、徐々にまたクラブシーンから少し距離を置くようになっていきました。

そんな時に初めてDMCとゆうDJの大会をたまたまDOMMUNEの配信で観る機会があり、
スクラッチや2枚使いのそれまで見た事ないスキルの高さ、とても凄い技術を持ってるDJたちが全国にいる事を知り、このカルチャー面白い!もっと知りたい!と思いました。

元々RedBullに挑戦していた友達の影響で、スクラッチとゆうものを少し理解はしていたつもりでしたが、この時(2015年のDMCJAPANファイナルを見た)に、スクラッチってこんな凄い事できるんだ!と知り、僕にお酒を強要してたDJの先輩たちって、全然大した事なくね?と思ってしまいました。笑
練習したら出来そうだなとも思ってしまったし、マニアックな世界だから、競争相手も少なそうとか思っちゃって、スクラッチの世界で頑張れば日本一とか、いけんじゃね?って正直思っちゃいました。笑

昔から変な自信はいつも持っていて、スポーツでもなんでも人並み以上はできるってタイプだったけど、なにかずば抜けた能力があるわけではなかったので、特殊な能力への憧れがあり、このスクラッチとゆう技術を習得しようと、独学で真剣に練習を始めました。

今思い返せば、この辺がかなり人生のターニングポイントだったのかなと思います。
年齢的には23~25くらいだったかな。
そこから本当に大きく人生が変わっていきました。

まずは情報集め、スクラッチの歴史から今の大会や、このシーンで活躍しているDJなど、沢山勉強をしました。
この頃にはもうYouTubeやInstagramなどのコンテンツで動画もチラホラ見れたし、ネットの記事などで家にいながら、沢山の情報を集めることができたので、毎日動画を観てターンテーブルに向かい練習をするとゆう日々が始まりました。

毎日毎日、知れば知るほど、やればやるほど、楽しくてしかたなくて、それまでも好きな事ばっかりやって生きていましたが、ここまで夢中になれる事はなかったので、スクラッチを知って良かったと本当に思えたし、これなら本当に一生やれる趣味だ!と、どんどんのめり込みました。

毎日ちょっとずつ、できるようになる事が嬉しくて楽しくて、本当に1番になれる日も遠くないかもと思い、人生かけてやる覚悟を決め、目標をたてました。
この時の目標は
「30歳まで(5年以内)に日本一、そして世界一」
「DJ(スクラッチ)を職業にする」
でした。

やって行く中で、徐々に目の前の目標は少し変化していきながらでしたが、1個目の目標も達成できたし、2個目の目標は、今でも模索しながらなんとかやってるとゆうかんじです。笑

この沢山練習できた期間は、乗っていた車も売り、仕事は上司に送り迎えをお願いして、友達の遊びの誘いも全部断って、家にひたすら引きこもりました。笑
どんな遊びより、タンテを家で触ってるほうが楽しいと感じていたので、練習をやっているとゆう感覚よりも、とにかく毎日家で遊んでる感覚で、楽しかったのを覚えています。
起きたらタンテに向かい、仕事から帰り次第タンテに向かい、ご飯を食べてタンテに向かい、お風呂からあがったらタンテに向かい、寝るまでタンテを触って過ごしてました。笑笑
完全に当時の自分はただのオタクでしたね笑

楽しいとゆう感情でタンテを触れたので、人よりも凄いスピードで上達できたのかなと。

当時、Instagramでスクラッチの動画をアップするとゆう文化が海外で少し流行っていて、僕もその人たちを参考にしながら、動画のアップも定期的におこなっていました。
すると、同じように練習しているDJや、スクラッチが好きなDJ、自分が憧れて観てるDJの方々から、いいねやコメント、メッセージなども頂けて、ネットで顔も知らない、言語も違う人たちと、繋がって情報交換や、交流ができたり、上手くなればなるほど、友達が増えていくかんじで、本当に楽しい日々でした。

Instagram、snsの存在もかなり大きかったなと思ってます。
当時熊本に住んでいたので、Instagramが1番の情報を貰える場所であり、コミニケーションまでとれる、本当に僕にとって有益なアプリだったなと。

そんな生活を1年ちょっと過ごしていたら、自分でも驚くほどの成長をとげ、かなりのスキルを身につけていました。笑

DOMMYと名乗りだしたのもこの頃でした。
かなり気が早いですが、世界大会に出た時にMCにちゃんと名前を発音してほしい!みたいな事を考えてました笑笑

この頃、もう既に熊本に自分よりスクラッチできる人はいないんじゃないかって感じてて、もっと上手い人に会いたくて、福岡や鹿児島に遊びに行ったりしてたのですが、もっと上手くなりたい!って欲がとまらず、関東に遊びに行きたいなと考えるようになりました。

ちょうどそんな時に、熊本地震があり、日常が急変したり、相当な被害を受けた地元を目の当たりにし、いつなにがおこるかわからない、自然の力には敵わない。と、人生をしっかり考えるきっかけになりました。
そして、後悔ないように、本気で好きな事に生きてみたいと思い、約7年ほど働いていた電気工事の仕事を辞め、とりあえず大会で1番になる!って勢いだけで、関東に遊びに行く事にしました。笑

今考えると、思いきった行動だったなと思うけど、当時の僕は本当にスクラッチの事しか考えてなくて、、笑

仕事を辞めた僕は、片道の飛行機だけとり、リュック1つだけ背負って、東京に行きました。笑

ここからまた、ただの田舎のスクラッチオタクの状況が、どんどん変わっていくのですが、今回の記事はスクラッチとの出会い編とゆうかんじにしてたので、ここら辺で終わろうかと思います。

長々と最後までお読み頂きありがとうございました。

慣れない文字での発信、♡やチップなど、本当に励みになります!

今回の記事の続きは、上京編みたいな感じでまた書こうかなと思ってます!
中々、人と違う人生を歩んできたので、僕の生きてきた過去を話すだけでも、誰かの刺激になれたり、人の感情を動かしたりできるのかなーと思って、このnoteを書きはじめました。
また、このnoteをきっかけに、僕を知ってくれたり、応援してくれる方が増えるといいなと思ってます!

それでは、また次回の記事をお楽しみに!

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DOMMY
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