IRONMAN Malaysia 2023 詳しすぎるレポート【その⑥ラン〜ゴール編】
ランスタート
まずはT2内の折り返しコースからスタート。MIECは冷房がバリバリ効いてるので非常に涼しかった(寒くはなかった)が、外はめちゃくちゃ暑いのでいつも通り腰のセンシベルトのボトルが頼りだ。折り返し直後のエイドでまずは体制を整える。
去年もそうだったが、水はキンキンに冷えた(めちゃくちゃありがたい!)250ccのミニペットを並べてくれている。二本入れるとちょうどボトルがいっぱいになる。ボランティアが開けて入れるのを手伝ってくれる。Thank you so much!!この後もずーっとほとんどのエイドでこれを励行することになる。
MIECの館内で水を被るわけにはいかないから、外にでてすぐのところに被り水ステーションを別途設けてあった。ノリノリのボランティアたちがワイワイ言いながら頭からザッパーン!!クーッこれまたキンキンに冷えていやがるぜ!!よーし行くぞ!
地獄のピーカン
空港へ入る道を戻り、表通りに左折したら警察学校を右手に見ながら、いよいよ地獄の空港街道ド直線の始まりだ。しかも今年はピーカンになってしまった。
ジリジリと焼け付くような日差し。そして南国特有の湿気に満ちた蒸し暑さ。これは、キツい・・・
とりあえず5分台前半が出ていたのは最初の頃だけだった。昨年はランのときすでに涼しかったから5分前後でぶっ飛ばしていたが、無理。条件が違いすぎる。
とにかく次のエイドまで。だいたい2キロおきにあるからそれだけが頼りだ。ボトルの水は思いのほか持っていて、いちいち満杯にしなくても被りまくりながら次の
エイドまで間に合うことがわかった。
一周目の空港の行き帰りは、ことのほか厳しかった。しかしもう時刻は夕方に近づいており、たぶん二周目以降は気温が下がってくるに違いない。それを期待して進むしかない。
大声援
コースは一周が約8.5キロの二周回半だ。空港横を過ぎるとゴール地点のペランギまでは約2キロ。そこを横目に一旦ナディアス方面へ商店街を突き進む。ここの区間の応援がすごかった。もうレースを終えた70.3組やら街の人やらが渾然となってもうドンチャン騒ぎしながら声を限りに大声援。これは嬉しかった。
昨年はナディアスの先まで行かされたが、今年はナディアスのちょい手前が折り返しだった。これは精神的にちょっと助かった。折り返しの180度ターン。グッと踏ん張った右足の裏の土踏まずのあたりの皮膚が「ビッ」とズレたような感覚が走る。嫌な予感がする・・・が気にしてもしょうがない。気のせい気のせい。
そしてペランギの敷地の手前からビーチに左折し、エイドを経て砂地をゴール地点へ走り抜けていく。GOUなトップ選手たちはとっくにゴールしているから、フィニッシュゲートはすでに喧騒につつまれている。チクショー、周回でここ通らせるの、わざとだろ・・・
嫁さんが待機していた。「いいペース!がんばれ〜」「メチャクチャキツい〜」
トラッカーアプリで居場所が大体わかるので、それまでプールなりバーなりでくつろいでおいて「おっ来た来た」となったらコース脇に出てくれば良いので応援も非常にやりやすかったそうだ。
転倒
さてゴールエリアの脇をとおってペランギの裏をうろうろするコースへ入る・・・そこで砂地に足をとられてしたたかに転倒してしまった。イタタタタ、やはりだいぶ足に来ているようだ、不整な砂地には気をつけないと。幸い砂地はフカフカだったので怪我などはなかった。フー・・・
両手とか砂まみれになってしまったが、大丈夫どうせボトル水を被りまくるからあっという間に元通り。持っててよかった・・・
あれっ?そういえば周回チェックの輪ゴムをまだもらってないけど、いいの?とちょっと不安になってきたところにようやく「Lap check band ahead」の表示が現れた。よかった・・・一周目は白のバンドをもらう。ヨシ!
そこからペランギの裏手の変なところを通ってまたペランギの中、コテージ群の横を通ってウロウロしてからT字路の信号の横に出る。昨年泥沼化していたところだが、今年は大丈夫だった。
この辺で10キロ、55分前後と悪くはない。でもここからペースが上がるわけはなく落ちる一方であることを考えると、この先厳しい・・・
一周目の復路の空港横ド直線は、ことのほか厳しかった。ひたすらコーンを数えながら君原健二走法でいくしかない。あと一周してきたら、次の周回にはもう来なくていいのだ!(あとまだ一周以上あるのか・・・)ドヨーン
もうすっかりペースは6分以上が常態化。イノチダイジニモードになってしまっている。それでもエイド以外で止まらない、歩かない。これだけは死守するつもりだった。
二周目
一周終わりのMIECに戻った。これで約17キロ。あと25キロ・・・ゲロゲロ、いかんいかん考えるのをよそう。また折り返しで水とコーラを補給、表にでて水を被りまくる。しかし、さっきより明らかに気温は下がってきている。次の最終周回だともうすこし楽なんじゃないか?
表通りに出て、しばらく行ったところでWKさんとすれ違った。「頑張りましょう!」やはりエールを交換できる仲間がいると助かる。声をだした自分が楽になるからだ。しかしWKさんはだいぶ苦しんでいる様子だった。バイクで出し過ぎたのかな・・・
その頃になるともう日は陰り、だんだんと周囲は薄暗くなってくる。もう空港脇の道路では例のランタンの準備が始まっている。ああ、次の周回ではすっかり暗くなったところをランタンのあかりを頼りに走ることになる・・・
エイド毎に被り水、水補給、ゲータレードまたはコーラ、ときどきジェルかバナナ、というのを着実にこなしながらジリジリと進んでいった。二周目のペランギ、このあたりでほぼハーフに到達、あと半分だ!(まだ半分もあるんか・・・)
そこからはまた喧騒の商店街。ヤンヤの歓声で、ヘロヘロの脚にも思わず力が入る。そしてまた嫌な予感がする折り返し。「ズリッ」イテテテテ、やっぱりこれだけ足がずぶ濡れになってるとどうしようもない。やばいけど普通に走る分には大丈夫、気にしない気にしない!
残り一周
そうしてまた悔しがりながらゴールエリアを横目に通過、嫁さんに再度エールをもらって今度は赤バンドをゲット。よしあと一周でここへ戻ってくるだけだ!といっても17キロもあるのか・・・ムグググ
もうこの辺の二周目後半のことはよく覚えていない。疲労の極致でエイドごとに心をリセットしないととてもやってられない。空港脇へやってきたころにはもうずいぶん(昼ごろに比べると)涼しくなってきた。これならどうにかなりそうだ。
次第にエイドでもらう水の量も一本で間に合うようになってくる。ただ、コーラとゲータレードは交互にひたすら飲んでいた。あの、ヘロッヘロになっているときのコーラの美味さは何ものにも代え難い・・・
この辺でついに30キロに到達。よし!ヨシ!これであと残すは一時期朝練で徹底的に走り込んだ12キロだ。もうあとは刻むだけだ!
3回目のMIECに突入。残りは半周のみ!!もう外に出たときの被り水はいらないくらいだったが、一応頭にだけ被っとく。そろそろ暗くなってきたのでサングラスは頭に乗せてド近眼でいく。昨年の終盤の足首捻りを思い出した。段差にだけは気をつけよう。
WKさんと最後のスライド。「ラスト〜〜〜ファイトー!!」自分にもカツを入れる。もうあと5キロくらいしかない!ジョギングで終わりやないか!!
競り合い
ランの序盤あたりから「この人、たぶん日本人だよな・・・」という赤いウェアでチューリップ型の帽子を被った人とずーっと近い距離を保っていて、引き離されたり、エイドで追いついたりを繰り返していた。最終周に入っていよいよ距離が離れていき、ああ、ちくしょうこの人には勝てないのか、、、と思いかけていた。
しかし、もうすっかり暗くなってランタンの灯る空港のド直線で、ジリジリと前が詰まってきた気がした。果たして、次のエイドでほぼ捕まえた状態になった。補給をちょっと省略して後ろにつける。こうなったらこの人だけでも捉えておきたい。
エイドの後、その人の足取りがちょっと重くなった気がした。「今、行くしかない」最後の気合いを振り絞ってペースを上げてブチ抜く。その人が私と競っていることを意識していたかどうかはわからない。しばらく、後ろから追い上げる足音が聞こえていたが、そのうちに聞こえなくなった。
でも、その方にはそれまでの間だいぶ長いこと引っ張ってもらった。苦しい時に目標があるとないでは大違いなのだ。ありがとうございました。
どんなに苦しいことにも必ず終わりはくる。3度目のぺランギ前を通過し、最後の商店街へ。もうゴールに向かう選手が増えているから、喧騒はピークに達している。何度かハイタッチとかしながら。自分がヒーローかなんかになった錯覚を覚える。
ゴール
最後の折り返し。足の裏にはやっぱりビビッといやな感覚が。でももうどうでもいい。あとゴールまで数百メートル!
ペランギ脇をビーチへ逸れて、最後のエイドは当然スルーして一心にゴールエリアへ。遠い、、、遠い、、、こんなにあったか?まだか?まだか・・・アッタアアアアア
ゲート入り口でSamさんが満面の笑みで出迎えてくれた。なんだこれチョー嬉しいんだけど!そしてMCが自分の名前をコールしている・・・「What a performance!! Taijiro Sueishi, You are an IRONMAN!!」
終わった・・・
ランパート 4時間27分54秒 88位
総合 12時間24分51秒 88位/出走578人 エイジM55 6位/46人
エイジM55の「日本人」1位だった。正直、アイアンマンの大会で日本人がどうとか言っても始まらないが、素直にうれしかった。トライアスロンに復帰して12年、ひたすら続けてきてようやく「わかりやすい結果」が得られた瞬間だった。
【その⑦ゴール後・総括編】に続く
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