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【1992年】股関節をシウツした話③【手記】
もう30ウン年以上前、もっと言うと結婚する前の話。原因不明の病気(滑膜性骨軟骨腫症)で大腿骨の骨頭付近に鶏卵大の腫瘍ができて、その摘出手術を受けて1ヶ月ほど入院した。当時持っていたMacintosh Classicでツラツラとしたためた「入院日記」がSSDのフォルダダンジョンの奥底から発掘されたので、ここに晒してみよう。3/4
6月26日(金)
明け方になっても眠れないままだった。看護婦さんが時々様子を見に来てくれる。腕を突っ張って上半身をちょっと起こしたりはできるようになった。左足はまともに動かせるようになったが、右足は足首を動かすのが精いっぱいだった。
カテーテルを突っ込まれているので尿意はあるのに抑えがきかない状態になっていて非常に気持ちが悪い。垂れ流しているような感覚だ。先に退院した「肩」の人の話によると、「抜かれる」時の激痛は、「蹴られた」時の激痛に似ているという!・・・ああ〜
ほどなく看護婦さんがやってきて恐怖の宣告。「じゃあそろそろ管をはずしましょうか」アアッついに来た!・・・「ちょっと痛いと思いますけど我慢してくださいね」・・・騒ぐと見苦しいので黙っていようと思ったが、「ウゲ。」「痛かったですか?」「気持ち悪いです」あー気持ちが悪い。まだ傷の痛みがはげしいのでもう一発座薬をブチ込んでもらった。
やっと食事にありついた。ベッドを起こしてもらうが、腰に負担が掛かって苦しい。38時間振りのメシは異常にうまい。涙が出そうになる。食事が終ると横のおじさんが気をきかしてお膳を下げてくれる。恐縮する。
鎮痛剤が効いてきてやや楽になった。担当医が回診に来た。「どう?痛む?」「あ、鎮痛剤が効いてます」「見たところ悪いものじゃなかったよ。で、周りの骨がしっかりしてたからね、移植もしませんでした。」「はー、すると今は」「うん、穴が残ってるね。」「それは放っておくと」「運がよければ骨が成長してうまるかも知れないけど、結構しっかりしてたからそのままでも問題はないよ。」「ははー、それはつまり移植して補強する必要もなかったと」「そう。移植するということは周りの骨もいろいろいじんなきゃいけないからね。」「いつ起き上がれますか」「関節の袋を開けたから、3日間は体重掛けられません。月曜から車椅子ですね。」3日間寝たきりである。
午後になってだいぶ落ち着き、昼寝をしていると誰か来た。子連れの郷子さんであった。いろいろ話をして随分気が紛れた。話相手もなく悶々としているとただひたすらに痛みと戦わなければならないが、喋っていると楽になる。
朝、管を抜いて以来排尿をしていないので看護婦さんが慌て出した。「出してくれないと困るんです!」随分おおげさだが、尿測といって手術後の尿量を計っているのに、朝から出てないと異常事態ということになってしまうらしい。
夕方、出張ついでの親父が訪ねてきた。つぶあん入り生八つ橋を大量に持ってきている。「そんなようけどないするつもりや」「ナースステーションに持って行く」「アホやなぁ。入院案内に謝礼は受けとらへんて書いてあったやろ」「京都から持ってきた言うたら断らへんやろ」「しゃあないな。持っていったらわかるわ」この病院は謝礼の類は絶対に受け取らない。完璧に徹底している。結構有名人だの金持ちだのが入院するから、無節操に謝礼を受け取っていると大変なことになる筈だ。案の定親父はバツの悪そうな顔をして戻ってきた。
右足はようやく少し動かせるようになったが、横を向くことすらできないので姿勢を変えるといえば左足の膝を立てる位しかできない。傷の辺りはラグビーボール位の大きさの、何か体と違うものが入っているような感覚である。じっとしているのに堪り兼ねて、つい尻を動かすと、傷口がバチーンと痛んで、血が出たような感じがする。怖くなってまた動けなくなる。夜はときどきうつらうつらするだけで、余り眠れない。
6月27日(土)
昨日食ったものはいやでも排泄される運命にある。しかし私は月曜までベッドの上から動けない。ということは・・・!!アーッ・・・これが今回の入院の最後の試練であった。丸出しの下半身を見られるより、自分が排泄した糞を見られる方が圧倒的に恥ずかしい。
まずもって看護婦さんを呼ぶときが恥ずかしい。お隣さんが歓談しているときにおもむろにナースコールを押す。「はい、どうされました?」これが20数年前なら、泣きながら「おかーさんウンコー」と言ったところであろうが、「すいません便器をおねがいします」隣のおじさんが気を使って部屋から出て行った。
看護婦さんが便器をもってやってきた。要は起き上がれない患者用のパッド付きの偏平なおまるである。「大丈夫ですか?腰は動かせますか?」「はい、なんとか」便器を腰の下に入れてもらう。「じゃあ、済んだらまた呼んでくださいね」うー、済んだ後のことも気に掛かるが・・・
カーテンは閉めてもらっているが、サウンドの拡散は不可避である。何とか静かに済ませようと思ったが、悲しいことにやや下痢気味であった。ああ〜情けない・・・しかしまだ済んでいない。ナースコールを押す。「ウンコを出し終りました」と言うわけにもいかないし、「排泄行為が終了致しました」というのも変だ。うーむ「用便が済みました」これだ。
あちゃーライバルお嬢様顔の美人看護婦さんが来てしまった。あっおしぼりを2本持っている。ということは。ありゃありゃ。あーあー。これはこれは。シェーッ。などと思っているうちに懇切丁寧に尻を拭ってもらった。凄い。プロだ・・・他人に尻を拭いてもらったのは20数年ぶりだが、あったかいおしぼりというのは非常に気持ちが良いことが分かった。ウォシュレットと良い勝負である。というわけでもう何も恐れるものは無くなった。
回診で担当医がやってきた。傷の消毒をするという。手術直後に巨大絆創膏を貼られたままになっている。見ると絆創膏の中のガーゼが血まみれで茶色に固まっている。「げげっ、こんなんなってますけど」「あー、だいぶ出血したみたいだね。でももう止まってるから大丈夫」ガーゼが剥された。うわ!
ガーゼの大きさからして結構な傷があろうことは予測していたが、実際の傷の大きさはそれを遥かに上回っていた。「ひゃあ。これはすごいですね」「あ。びっくりした?」「うーむ。露骨に縫ってありますね」「うん、傷はきれいに塞がってるね」「はー、そんなもんですか」「じゃあ消毒しましょう」「縫目の間隔が不揃いですね」「はっはっはチェックが厳しいね」ヨーチンのようなものを塗られたが、意外にも全くしみなかった。というわけで傷の大きさには別にショックはなかったが、1、2、3・・・14、15、16。16針も縫ってあるぞ。
この傷跡は「ザックリ切った痕に(まさにブラックジャックの顔みたいに)縫い目が点々と」という状態だったが、年月を経るに従い縫い目は消え、傷口が広がったような、みみず腫れのような状態になって落ち着いた。
だいぶ痛みもひいてほっと一息ついていると、突如花屋さんが花を持ってやってきた。「末石さんですか?こちらにサインお願いします」「はあ・・・?」送り主をみたが、全然知らない人ではないか。何と言うことだ。思い当たらない!
また親父がやってきた。昨日追いていった生八つ橋を「食え食え」と勧める。もともと甘い物が好きなわけでもないのにお見舞いはやたらと甘い物がおおいのでいい加減食傷気味である。
親父が帰った後、またしても便意を催し、ナースコール。ぶりぶりとやった後、看護婦さんが帰った直後にかなくんがやってきた。危なかった・・・思わず「いいタイミングで来てくれた」と言ってしまった。
さんざん自転車関係の話題で盛り上がり、脳内にアドレナリンが分泌されたかどうかは知らないが、痛みを忘れてしまう。
手術直後は栄養剤だのなんだのといっぱい点滴を入れていたが、その後は朝夕の抗生剤100ccずつとなっている。手術室でつけた点滴用の管がそのまま腕についていて、点滴の時間になるとジョイントをつなぐようになっている。針はプラスチック製で、いれっぱなしになっていても痛くない。ときどき血が逆流するので、凝固防止剤が詰まった管の中を赤血球がさらさらと流れているのがみえる。本人はまったく平気だが、はた目には大変気持ちが悪いようだ。
6月28日(日)
いよいよ今日一日耐えれば明日からは車椅子で動ける!痛みはだいぶ引いてきたものの、身動きができないのがつらくて仕方がない。
天気がいいから誰も来ないか・・・と思っているとカラビンさん、たつのすけさん、にっぷるさんがどやどやとやってきた。出るわ出るわお見舞いの数々・・・特に白馬の写真とロードレーサーのフィギュアは看護婦さんたちにも大人気。
6月29日(月)
夜はまだ安眠という訳にはいかないが、かなり眠れるようになってきた。今日から車椅子!ということでわくわくして5時頃に目覚めてしまった。テレビを見てもテストパターンばかりでいらいらする。車椅子はまだか!
今では信じられないかも知れないが、当時のテレビは深夜放送休止時間があって、その間は虹色のテストパターンが虚しく流れるばかり(もしくは砂嵐のみ)だったのだ・・・
やっと6時になって、看護婦さんがやってきた。「おはようございます。今日から車椅子ですね?」「はいはいはいはいはい」「どうしましょうか、もう持ってきましょうか?」「はいはいはいはいはい」・・・
待ちに待った車椅子だ。座るとまだ傷口が痛いが、体重をかけなければ大丈夫だ。「これがブレーキです。こうすると解除です。えっと、車は運転できますよね?」「はいはいはいはい」全然聞いていない。ほいほいと車輪を操作して廊下へ出た。ああ、移動できる。自分の意志で移動できるのだ!なんとすばらしいことか・・・というわけで、まず真っ先に移動できる恩恵を受けるべくトイレに行く私であった。
身障者用トイレの棒というか、枠というか、あれは大変ありがたい物だと言うことを痛感する。便器にそのまま座ると痛いので両手で支えなければならない。車椅子でうろうろしていると、病院内は全部床が面一になっていて、どこでも必ず車椅子が通れるように配慮してある事が解った。
手術以来、毎日脂汗を流してじっとしていたので頭から体中どろどろ。ようやく動けるようになったのでシャワーを浴びましょうと言う事になったのだ。「傷ンとこはどうするんですか?」「ちゃんと防水するから大丈夫です。」ヒロイン顔の看護婦さんが来て防水処置を始めた。
まず左腕の点滴の管の部分にビニール袋をかぶせ、両端をテープで丁寧にとめる。尻の傷の方は、専用のフィルムのような物を取り出してガーゼの上からぺたぺたと貼っている。「ははー、こういう為にそういう物があるんですねー」「いえ、実はこれは本来の使い方じゃないんです」「といいますと」「これは抗菌処理されてて、手術の時に切開する前に皮膚に張って、そのうえから切るんですよ。」「へーっ」いろんな用品があるものだなぁ。
ヒロイン看護婦さんはしきりに「私これ苦手なんです。不器用だから」といって実に丁寧に貼ってくれるのでうれしい。シャワー室へ向かう。「じゃあ、届くところまで洗ったら呼んでください。足とか私が洗いますから」わー!心拍数が上がってしまう。
寝巻きや下着は入院前の指示で作った、右側がベルクロで全開するものを付けているので、脱ぎ着は簡単である。シャワー室の中もあちこちに把手がついているので安心だ。しかし椅子に座って試しに右足をさわろうと思ったが、ふくらはぎより下に手を延ばせない。やはり右足は看護婦さんに洗ってもらうしかないようだ。
膝まで洗い終わって、さて黙って上がってしまおうかと思っていると「じゃ、足洗いましょうか」来てしまった。変に恥ずかしがるとかえって気を使うだろうから平然としていたが、すっぽんぽんでかわいいお嬢さんに足を洗われているという実に変な状況。それにしても看護婦さんという人たちは本当に偉大である。悟りを開いているのではないだろうか。
ようやく椅子に座って食事ができるようになった。そのまま座ると痛いので椅子の座面の上にはぷよぷよのゲル座布団が敷いてある。しかし依然として寝返りが打てない。右を下にするのはもってのほか、左を下にしても関節にへんな負担がかかって苦しい。
夕方、またshirubeさんがやってきた。今回も12番と13番、16番・17番あたりのログを読み、DynaBookに書き込みする。花の送り主がますます判らなくなってきた。
6月30日(火)
相変わらず朝晩の点滴が続く。点滴の前後に血液凝固防止剤を注入するが、その時必ず看護婦さんが「痛くないですか?」と尋ねる。ところが全く痛くない。それどころか血管にチューッと冷たいものが入ってきてなかなか気持ちが良い。「これは痛い筈なんですか?」「ええ、痛いとおっしゃる患者さんもいます」自分は鈍いのだろうか。
花の送り主が気になって、まさかと思ったが職場に問い合わせてみる。最近新しく来た人が気を回しすぎたのかも知れない。しかし、やはり思い当たる人物は浮かんでこなかった。
夕方、N2丼が現われた。天の橋立の写真やその他もろもろのリザルトについて話をしているとお座敷さん登場。フランスの自転車雑誌を3冊も!これは実に見応えがあった。単語しかわからないので読んでもさっぱりだったが、向こうの自転車文化の層の厚さを垣間見ることができる。
首の脂肪の塊を除去する手術を終えたおじさんが戻ってきた。カテーテルが気持ち悪いらしく、しきりに気にしている。ナースコールをしては「しっこがしたくてしょうがないんですよ」「管が入ってるからちょっと気持ちが悪いと思いますけど、明日の朝まで我慢してください」「でも、しっこがしたいのにでないんですよ」「いえ、管からちゃんと出てますから安心してください」
ところがこのおじさんは全然安心しない。30分おきにナースコールをしては「しっこがしたい、のに出ない」の一点張り。さすがの看護婦さんもあきれている。勝手に何かしようとして点滴中なのにじたばたしたらしく、看護婦さんの悲鳴が聞こえる。「あーっ!!大変!!ダメですよーもう・・・」その後もおじさんは「しっこ、しっこ」とぼやき続け、ついに根負けした看護婦さんに管を外させてしまった。まったくしょうがないおやじである。
7月1日(水)
いつまでも甘えて足を洗ってもらうのもナンなので、頑張って自分で洗うことにした。タオルの両端を持って背中を洗う要領でやれば大して不自由はなかった。シャワーのあとはいつも通り傷の消毒をしてもらうが、これが実に気持ちがよい。巨大な綿棒で、ヨーチンをぺたぺた塗ってもらうだけのことなのだが・・・
もうすっかり車椅子にも慣れ、エレベーターにも乗って売店に買い物に行く事もできる。車椅子に乗っていると周囲の人たちがいろいろ気を使ってくれるのがよくわかる。
運動不足がいい加減気になっているので、車椅子で廊下をぐるぐる回ることにした。車椅子マラソンの選手よろしく思いきり回すと、病人用重量級車椅子でも早足くらいのスピードはでる。尻に体重がかかると傷口がチリチリ痛むが、動けるのが嬉しいのでほとんど気にならない。それよりも延々乗っていると「車椅子酔い」になってしまった。
午後はまた週一回の外科部長回診。「軟骨が一杯取れたみたいだね」と言われた。何のことだ。軟骨?聞いてないぞ!担当医に聞いてみると、腫瘍は実は軟骨のような組織らしいとのことで、詳細は病理検査の結果待ちだという。
この日で抗生物質の点滴がおわり、錠剤になった。
7月2日(木)
ちょうど今日で手術から一週間目だ。ヒロイン看護婦さんに傷口の防水をしてもらって、さてシャワーを浴びに行くか、と思っていると呼び出しを受けた。リハビリセンターへ行って下さいという。なんともう松葉杖が用意されているらしい。
地下一階のリハビリセンターへ行くと、いろんな体勢をとれる変なベッドをはじめ、歩行用の平行棒などなど、体育館を思わせる空間。「大丈夫ですか?ちょっと立ち上がって見て下さい」立ち上がった。意外にもちゃんと直立することができる。最初は右足に3分の1まで体重をかけて歩く練習をする。体重計に右足を乗せて、大体20キロかけた感覚を覚えろという。「どれくらいまでかけられますか?痛くないですか?」全体重をかけてみたが、痛くない!ただし動かそうとすると駄目だった。
まず平行棒に掴まって歩く練習をする。一週間ぶりに自分の足で歩いたことになる。わりとまともに歩いているのを見て係の人も「大丈夫そうですね」余計な仕事が減って良かったといいたげな表情だ。松葉杖を用意してもらう。高さは脇の下につかない程度である。脇の下に当たるパッドがついているので、てっきりそこを脇にぐっと押し当てて歩くのかと思いきや、さにあらず。脇をしめ、胸の横とに挟んで、掌だけで体重を支えるようにするのだという。
最初はうまくいかなかったが、しばらくうろうろしているうちにだんだんコツが飲み込めて来た。「じゃあ、それで病棟内を歩いてみて下さい。次はまた月曜日に様子を見ましょう」ということになった。なんとあっさり終わることよ。「リハビリは辛いぞー」と聞いていたので拍子抜けも良いところだ。
午後、積極的に練習をせねばと思い、病棟内を歩き回る。看護婦さんが「あら!歩けるようになったんですね!」と我がことのように喜んでくれる。廊下を8の字型に一周するのに4分かかった。掌が痛いが、我慢して8周した。脇腹も痛い。
疲れてぐーぐー寝てしまった。枕元に誰か来てなんかしゃべってるような気がしたが、全然起きることができない。夕方になってようやく目覚めると、隣のおじさんが「誰か来ましたよ」あちゃー!またやってしまった。整形外科の病人なんて昼間は退屈で寝てるんだから起こしてくれりゃいいのに・・・来訪はDougさんだった。メモが残してあった。
松葉杖になったことを実家に連絡する。葉書がついてないかと言う。そんなものは来ていない。なんとその葉書に花の送り主のことをかいておいたのだという。母親の友人の方だったのだ。葉書がつかなければ全く判らない。一件落着したものの、会社の同僚には随分余計なことを言われてしまったものだ。
明らかに女性からの花だったので「あら〜末ちゃ〜ん、隅に置けないわねぇ〜」などと無い事無い事言われたのだった・・・
手術前は右脚を真っ直ぐすると痛くて眠れないので、右膝を立てるか、横向けになるかしなければならなかったのが、なんと手術後、腫瘍が取れたおかげで脚を真っ直ぐにしてねられるようになったのである。この劇的な結果には感心してしまう。
つづく