しばいぬのかわいさは異常
柴犬とは
柴犬とは、その存在意義を「可愛さ」に全ブッパした奇跡の生命体である。いや、それはどの犬種でも、なんなら他の動物でもそういうのいるだろ?というツッコミは甘んじて受けよう。
しかし、それでもなお、柴犬の可愛さはちょっとおかしいぐらいに突き抜けているのだ。実はだいぶあっため過ぎた記事なんだけど、そろそろ公開しよう。
これは柴犬を飼っている人、飼った事のある人なら概ね同意いただけることと思うが、他の犬種を飼っている人なら「いや、ウチの〇〇ちゃんだってそうよ!」と思うだろうけど、柴犬の突き抜けた個性はちょっと違うんだよなぁ。
ちなみにネコ好きの人からは「いや、ぜったい猫の方が」という話もあると思うけど、それはもはやイデオロギー論争と同じだし、私とて猫もそれなりに好きなので今回の話とは別ということで。
柴犬を飼うに至った経緯
私は昔から犬、特に柴犬系の犬種は好きだった。が、それは「だいたい何となく犬は好き、まぁ言うならその中でも柴犬は良いな」という程度のものだった。
さらに言うと「柴犬の、特に子犬は超カワイイな、でもまぁ、成犬は、普通かな・・・」という感じであった。
20年ぐらい前だったか、念願かなって初めて一戸建ての家を買った。これなら犬も飼える!と思った。嫁さんはそれほどでもなかったが、子供たちは動物が大好きだったので「犬飼いたい!」ということになった。
しかし、当然のことながら生命を預かるには相応の覚悟が必要。いろいろ調べ、ペットショップにも何度か足を運んだが、やはりその世話の負担が嫁さんに集中してしまうという未来が容易に想像できたため、今は無理、ということになった。どこのご家庭でもよくあるやりとりでしょう。
何度かそういうことを繰り返したあと、娘その1が精神的に大変不安定な状況に陥り、何かの癒しが無いとこのままでは非常に危険(具体的には、ご想像ください)という状況になり、そうも言ってられなくなった。
その頃は私が鬱に撃沈して休職し、家族で京都の山の家に引っ越していた。犬を買うなら、普通はペットショップ経由が多いと思うが、いろいろ調べた結果、郊外で柴犬を放し飼いに近い形にしている犬舎が南部の方に見つかったので、みんなで見に行った。
結構ワイルドな感じで沢山親犬が居て、店主さんに話をすると「ちょうどひと月ほど前に生まれた子犬が居るから出してあげますよ」ということで裏の方に回ると、コロコロの子犬たちが5匹くらい、奥の方から全速力でまろび出て来た!
家族全員、メロメロ😍
その時、真っ先に嫁さんめがけて突撃してきたのが、今のうちの子である。
一応、血統書付きの柴犬だったのに、一般的なペットショップ価格(当時)の半額~3分の1くらいの値段でビックリした。
店主さんは、子犬たちの健康によほど自信があったのか「死んだら言うてください、補償で別の子をあげます」などと、とんでもないことを言う。それはそれで良いけど、どうなの?
柴犬のいる暮らし
ともあれ、それから我が家は「家にいつも柴犬が居る家庭」になった。それは「柴犬以前」と「柴犬以降」をクッキリと分けるほど全く違う暮らしになった。
最も顕著なのが「一日に一人100回くらい『カワイイ!』を連発」これが12年間ずーっと続いている。だからもう何十万回も「カワイイ!」を叫び続けていると言っても過言ではない。
特に自分でも驚いたのが、子犬の頃はそりゃもう破壊的にカワイイし、そりゃもう当然だよねの心境だったのだが、それが大きくなっても、成犬になっても、まして近年老犬になってきてもまったくその可愛さは衰えないばかりか益々可愛くなるばかりということだった。
それは嫁さんも同様で、以前は子犬はともかく、成犬はむしろ怖いと思っていたのに、今ではもう犬が好きすぎてヤバいくらいである(もっというと猫まで好きになるという不思議な変化も現れた)。
なぜ柴犬はかくも可愛いのか?
私はふと疑問に思った。なぜ、柴犬はこうまで猛烈にカワイイのか?犬が人間と深い関係にあるというのはその歴史的経緯から知ってはいたが、この柴犬の強烈な可愛さは、それだけでは説明できない気がしたのだ。
そもそも人間がある対象を「カワイイ」と思うのはどういう現象なのか?
これは多分、子孫を残すために自分の子供を可愛い(=守りたい)と思うものが生存競争をより効果的に勝ち抜いてきたから、と考えられる。
虫とか魚がそういう風に考えてるとはちょっと考えにくいけど、鳥になってくると多分そういう概念を宿してそうに見えてくるし、哺乳類だとまず間違いなく子供を慈しむ行動が見られる。DNAがそういう風になってるのだ。
で、種が異なっても「子供を慈しむ」という行動が見られることがある。これは哺乳類にまでなると、DNA的にはほとんど同じだから(虫との違いを考えると、哺乳類と言うだけでほぼ同じ)ということで説明できそうである。
しかし、その中でも特に犬と人間の繋がりは特筆すべきものがあって、モノの説によると種が異なってもお互いに愛情ホルモンであるオキシトシンを分泌するのは犬と人間だけである、という。
という事で、そもそも犬と人間の関わりが特別であるという事もさることながら、その中でも特に「柴犬と日本人」の関わりにはさらに特別なことが起きているのではないか?
柴犬はそもそもオオカミに最も近い犬種かつ日本固有の種なので、当然太古の昔から日本人と関わって種が存続してきた筈だ。
そして私の勝手な想像ではあるが、日本人の性格、趣味嗜好、美意識というのも太古の昔からミャクミャクと培われてきたものであり、その「可愛さ」に対する考え方もその一環だと思うのだ。
すると、偶然人に懐いてきたオオカミの子供を「おお、愛いヤツじゃ、こっち来(「オオ~、ウホホ、ウホッホー」だったのかも知れんが)」などと可愛がったりして何百年何千年と経つうちに、次第に「この人間たちにより可愛がられることが、ワシらイヌ族の生存戦略!」ということになって来たのではないか?
そうすると「より可愛く」「より日本人の感性に合う」犬が寵愛を受け、さらに純粋培養されていき、いつしか「柴犬とは、コレ!」という形態・性格に落とし込まれていった・・・(もちろん野生の部分は根幹として消えてないが)のでは??・・・考えすぎか。
それはそれとして、柴犬を飼い始めるまでは、その不思議な生態についてほとんど知らなかったことに気づいた。以下は、柴犬好きの人なら先刻ご承知の事ばかりではあるが、飼い始めて知った柴犬の特徴を挙げてみる。
※いやそれは柴犬だけではなく犬全体の特徴だよ、というのも含まれてると思うが、ご容赦を
ツンデレ
まずはこれだろう。家族全員驚いたのだが「まるで猫のよう」なツンデレぶりであった。めちゃくちゃ尻尾振って甘えて来たかと思ったら突然「スン・・・」となって反応が無くなる。こっちは「えっ?」となる。
グルグルグル・・・ドスン!
落ち着き場所を探すとき、かならずグルグル回ってからドスン!と寝る。なんでこんな動きをするのか分からない。
耳ペタ(ヒコーキ耳)
これを最初見た時は笑った。なんちゅう面白い顔すんねや!!しかもその時目を細めて口角を上げるから「ニカーッ」と笑ってるようにしか見えない。犬に「笑う」という感情は無い筈なのだが、どう見ても笑っている。少なくとも「大好き!」とかの非常に良い気分であろうことは間違いない。
テーブルの下で寝る
部屋に入ってテーブルに座ると、どこからともなくやってきて足元に寝る。とにかく飼い主の足元や座ってるそばに居るのが落ち着くようだ。
一歳過ぎに「両さん眉」が出る
これが出た時は驚いたなぁ。ちょうど単身赴任で横浜と京都を行ったり来たりしてたときだったから、帰ったらいきなりこの顔で出迎えられて爆笑した。「こういう犬種なのか?!」と思って「このまま消えなかったらどうしよう?」とも思ったが、次に帰ってきたらもう消えてた。
ホットドッグの季節
冬になってストーブを出すと、必ずその前に陣取る。結構至近距離で寝っ転がって動かない。触るとアツアツになってる。これ、めっちゃ暑いんちゃうの?と思うが、本人(本犬)は涼しい顔。毛皮の断熱性能が凄いらしい。
夢を見る(うなされている/夢の中で走る)
これも最初見た時は笑ったなぁ。人間が夢見て、夢の中で叫んだりしても現実では声にならない情けない声を出してるのと同じ感じで「ハウ・・・ハウンハウン、フウン」と実に情けない声で吼えながら足をピクピクさせている。きっと夢の中で走り回りながらワンワン吼えているのだなぁ。
「おい、大丈夫やで」とやさしく起こすと「へ?なんでっか?」みたいな顔でキョトーンとしている。
〇ンコするときに「必ず北を向く」のは都市伝説
これは散歩中にだいぶいろいろ見たが、方角は不定である。ただし、N=1である。他の柴犬がどうなのかは知らないが、ともかくグルグル回ったあげく、いつもランダムな方向でやっている。
オナラをする(しかも自分のオナラに驚く)
これも初めて散歩中に聞いたときは「えっ?お前、いまオナラした?」と思ってマジマジと見たら犬の方も「えっ?今の音、何ですか?」みたいな顔をして見返してきた。やめろー!
突然スイッチが入る(突然オフになる)
冒頭のツンデレに近いものがあるが、突然スイッチが入ってグルグル回り始めて「スチャッ!」と決めたかと思うとまた走り回って「スチャッ!」
かと思うと突然「ホリホリホリホリ・・・」と一心不乱に掘り始める。まさにここ掘れワンワンなのだが「おい止めろ」と言っても全然聞かない。が、飽きると突然「スン・・・」と止めてしまう。
子犬の時は黒い顔⇒老犬になると白くなる
これも実は飼う前はよくわかってなかったのだが、子犬の時は顔が泥棒顔というか、マズルが真っ黒けだったのが次第に柴犬ぽい「綺麗に焼けたトースト」の色になっていき、そして歳をとるにつれて白っぽくなってきた。今では道行く散歩の柴を見ると「ああ、大体何歳くらいやな」というのが何となくわかるようになってきた。
驚愕の換毛期(想像の3倍)
まだまだあると思うけど、トリはやはりこれだろう。飼う前はもちろん全く知らなかった。飼い始めて「柴の換毛期はすごいよ」と聞いてはいたが、実際に目にするとそれは想像のはるか上だった。
なにしろ抜け方が凄い。毛のカタマリがモッサァ~と出てきてて、摘まんで「ボコッ」とカタマリが取れる。それが延々と、取っても取っても終わらない日々がしばらく続く。
しかも、世の中にはおとなしくブラッシングさせてくれる個体もあるのに、うちの子はやられるとこの世の終わりみたいに騒ぎだすから、うるさくてしょうがない。だからどうしても「抜けるに任せるしかないか」となってしまう。その季節は家じゅう毛だらけである。
よく動画でも出てるけど、大体「柴犬がもう一頭できる」というイメージで間違いない。
まとめ
そんなこんなで、柴犬を飼ってからと言うもの、それまでもだいぶ好きだった柴犬なのだが、完全に「溺愛」になってしまった。私だけなのかもしれないが、もう他の犬種はほとんどどうでもよくなって(まぁ、サモエドやマラミュートは引っ掛かるけど)、特に小型の洋犬とかはもはや犬と思ってないくらいだ(飼ってる方、ごめんなさい)。
休みの日は必ず散歩に行く(練習でどんなにボロボロになってても)のだが、つくづく思うのが「柴犬の散歩は日本の平和の象徴」。こんなに心温まる日常は無い。いつまでもこの平和が続いてほしい、と心から思えるひとときなのだ。
うちの子もあと数年したら虹の橋を渡ってしまうだろう。それは命の定めなのでいずれ受け入れないといけない。そろそろ心の準備をしておかないといけないと思っている。