【頭痛】地獄の年末年始【発熱】
Note界隈の皆様、あけましておめでとうございます。早いものでもう箱根駅伝も終わってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
混沌の2024年、総仕上げ
よりにもよって12月30日に風邪を引くというなかなか痺れる年末年始を過ごす羽目になった。激動と混乱の2024年の締めくくりに相応しいBad endだったというわけだ。
29日、JETTエンデュランスをしっかり走り、早朝からのアップと合わせて140kmとブリックラン(実走)でアップダウンしかないコースでハーフを走り切って久し振りに日曜の練習をちゃんとこなすことができた。
しかしその日の夕方から少し咳き込むようになり、嫌な予感がよぎる。「そんなこともあろうかと」買い置きしてあった葛根湯とビタミン剤を飲み、さっさと寝る。
30日の朝はまだ普通に過ごしていたが、昼飯を食ったぐらいから急激に具合が悪くなり悪寒が始まる。ああこれは来たな、と覚悟を決めた。
その日、次女が帰省してきたが、今日帰っていくまでの6日間で会話したのはドア越しの数秒間だけだった。
ダメな時は何をやってもダメなもので、症状はどんどん進んでとうとう熱は38度になった。よりにもよって明日は大晦日という日に。
「これは、アレかも知れんな・・・(というか、ほぼアレ)」ちなみになぜか咳は治まったので、最悪の「アレ」ではなさそうなことだけはわかった。
嫁さんが休日診療所を探してくれたが、どこを見ても「3〜6時間待ち」とか、そもそも「診ない(帰らされる)」とかゾッとするような情報が芋づる状態。
行ったら、たぶん○ナビルとか○レンザとかの即効のお薬を処方してもらえることはわかっていたが、そういう所(ウィルスを吐きまくってる人が密集してる)へ嫁さんに連れて行ってもらうのは非常に気が引けた。
なぜなら、長女が長年の苦労の甲斐あってようやく就職し、新年から働き始めるという非常に重要な節目を迎えており、そのようなタイミングで家族にさらなるリスクを負わせるわけにはいかなかったのだ。
宅内隔離
したがって、その日から私の居場所は自分のベッドと2階のトイレ、その往復のみとなった。というか、頭が痛すぎて悶絶しながら寝ている以外に何もできない。
四六時中頭痛が途絶えないというのはこんなにも辛いことなのか・・・と朦朧とする頭で考えながら、ただひたすらに6時間ごとに服用できるカロナールを待ち焦がれるだけの日々が始まった。
カロナールを服むと、30分ほどで「ちょっと効いてきたような・・・」となり、1時間ほどで「効いたような、効いてないような・・・、効いてこれか?」そして2時間ほどでまた元の木阿弥である。この繰り返し。もちろん夜とて一睡もできない。
食欲もゼロ。ひたすらOS-1を飲み、ウィダーのパチモンを啜るだけ。
強烈な年明け
そうやって脂汗をながし、歯軋りをしながら2024年は暮れ、2025年がやってきた。長いこと生きてきたが、こんなにもエゲツナイ年明けはさすがに初めてだ。
普段はどんなに酷い目にあっても「鬱で撃沈していたあの日々に比べれば」というモチベーションでいなすことができていたが、さすがに今回、激痛二日目の夜には「もう、アカン・・・いっそ気絶させて欲しい」とさえ思った。
それでも「三日、三日我慢すればかならずマシになる筈」と信じて唸り続けた。
一応ニューイヤー駅伝のネット中継も見てはいたが、もうろうとしながらボーッと見てるだけ。それでも少しだけ気を紛らわすことはできた。
その日の夜に、餅を一個だけ食べられた。やはり固形物を食うというのは大事だと思った。
箱根往路
さらに明けて箱根駅伝往路の日。症状はほとんど変わらなかったが、さすがに熱狂の箱根駅伝のパワーは、明らかに気分を変えてくれた。
推しバンドのギター(ワジー)が駒大出身だから駒大も半分応援しているのだが、幸か不幸か家族に青学関係者がいるので、やはり青学推しである。
今年は一区宇多川くんが出遅れたからどうなるのかと思ったら二区の黒田くんが爆走して区間新、三区の鶴川くんが不発であれっどうした?と思ったら四区の太田くんがまた爆走、トドメに五区の若林くんが圧巻の区間新で山の神確定と、前半だけで話題性満載、大興奮状態・・・だったのだが、もちろん痛みに悶絶しているので喜んでいる場合ではない。
その日の夕方になっても症状は変わらず、俺はどうなってしまうのか、もしかしてこのまま治らなかったらどうしよう、いやいやそんな筈はない、いま体内の免疫細胞が必死で働いているのだ、それを信じろ!などという思考がループし続ける。
しかしその夜、ついに症状が好転した。それまで全く間断なく押し寄せていた頭痛が「波がある」状態になり、ほんの短い間だったが、フッと気づいたら寝てた、という時間も出てきた。
箱根復路
そして三日、症状激化して四日目、箱根駅伝復路の日、ようやく症状は明確にマシになった。
家族は年末から約束していた都内某所観光に出かけた。私は「餅食って生きてるから気にするな」と(声だけで)送りだすと、また箱根復路のネット中継に釘付けになった。
復路六区の野村くんの驚異的な区間新に驚愕し、これは原監督の言うとおり復路はピクニックランなのか、、と思ったら、昨年太田くんにヤラれて非常に悔しい思いをした筈の駒大佐藤くんが奮起して七区区間新を叩き出し、先が読めなくなった。
結局その後もジワリまた差をつけて青学が勝ったんだけれども、駒大は意地の復路優勝を遂げたわけで、これはちょっとしたオーダーによる影響次第でひっくり返ってもおかしくない戦況だったわけだ。いやー今年もすごい戦いだった。
と、まだときおり槍が刺さるような頭痛がズキーンと襲ってはくるが、ようやく余韻に浸れるくらいには回復した。それにしても酷い三が日だった・・・
ようやく始動
そんなわけで今日(4日)はまだまだ起き上がると体はフラフラだが、ようやく頭痛はほぼとれて、明後日の仕事初めには普通に動けそうな気がしてきた。
毎年恒例の年末煩悩スイムもできなかった(12月のスイム・ゼロ)し、年末年始の年越しJETTライドも出られなかったし、初日の出ランもできなかった。
しかし、できなかったことを数えても意味がない。これからできることをまた数えなおせばよいだけ。新年が最悪だったということは、残りの今年は「上がるだけ」なのだから。
ということで新年は1月12日のニューイヤーハーフ(旧ハイテクハーフ)で始動する予定なのだが、こんな状況なので最悪DNS、よくてファンランの予定である。
皆さま、本年もどうぞご愛顧のほどよろしくお願いします。